anesthesiologistrenから見た世界
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うっかり・・・

10月は比較的時間に余裕があるから、もう少し記事を書けるかと思いきや、意外と仕事以外のことに時間を取られて、結局、前の記事から1ヶ月空いての更新になってしまった。


最近、父(外科医)と話す機会があり、意識の隔たりを感じたので、今日はそのことに触れてみたい。


ボクの父は外科医だ。
小さい頃から緊急の呼び出しで、出掛けていく姿を見慣れている。
最近は歳をとったせいか、仕事の方は一線を退き気味だけど、それでもどうにかこうにかやっているようだ。



さて、麻酔科医と外科医。
古今東西話題になる(なっていた)のは麻酔科医が外科医の腕の評価をするとか、外科医が麻酔科医を僕のように使っているとか、まぁそんな正直どうでもいいハナシだ。


麻酔科医はオペをするわけではないから、一概に外科医の腕をどうこう言うのは筋違いだし、外科医が麻酔科医を自分の僕のように扱うのもイタイ勘違いだ。

麻酔科医も外科医も、オペの成功を実現させるために協力する同志だとボクは思う。
また、ボクの周りの若い麻酔科医はそう思っているヒトが多い。


医学教育を受けた年代の違いなのか、実の父の発言とは思えないような発言を先日耳にした。


「麻酔くらいならワタシも何件かしたことがあるよ」



今の時代、この発言を平気で出来るトコロが非常に危ないとボクは思う。

麻酔に専従する医師以外の麻酔下で何かあったら、どう転ぶかわからないご時世である。


先の一昔前の外科医の目線で麻酔科医を見るような発言の意味合いを多分に含んだこの発言は、もはや父が一線の現場から退くべき時期にあることをボクに痛感させたものだった。「麻酔くらい出来る」こういった認識がどれほど時代錯誤なものか・・・。


麻酔に興味を持って日が浅いボクだが、外科の片手間に勉強できるほど底の浅い学問であるとは思えないし、外科医にそう思われているのであれば、非常に不快だ。


これから先、医療は患者を満足させるために、いかにその患者に適した治療計画を組むかという、いわゆるオーダーメード的要素が色濃くなると思われる。


その時、外科医、いや執刀医と麻酔科医は共通の目標に向けて協力し合う同志であれたらいいな、そのように思う。

医師を続けるか?

今、日本の医師は生涯医師を続けるか否かで大きな選択を迫られている。


すでに一流の技術を身につけた諸先生方は医師不足といわれる職場環境の中で、第一線に立ち、診療に当たっていたが、昨今の理不尽な訴訟の乱発によって、リスク回避から、次々と戦場から立ち去っている。


昨今の若手医師の間では、生涯医師を続けるコトに否定的で、いかに早く現場から離脱して、自分と家族のために生活の糧を得るかに焦点が移ってきている。


多くの医師は普通のヒトにちょっろっと毛の生えた程度の意志の強さで思春期から努力と根気強さで医師になる。
(もちろん、手が付けられないほど優秀で医師になられる先生もおられることは確かだが。)


そのような医師にとって、慢性的な過重労働・一歩間違えれば、いや、間違えなくても訴訟、犯罪者のリスク・・・、あまりに魅力がなさ過ぎる。



かく言うボクも、勉強の合い間を縫って、カネがカネを生む方法を模索中。
一年でも早く、離職しても食っていけるだけの収入を生むかを考えている。

あぁ、なんで暇な学部生時代にもっと経済学の勉強をしてこなかったんだろう・・・。




医師不足が叫ばれる中、自分の力が少しでも患者のためになればと思うが、
どうしても最後の一線だけは譲れない。



悠々自適

晴耕雨読

自給自足

そんな生活を将来はしたいものだ。

初期臨床研修は必要か?

数年前から導入されて、地域医療の崩壊・大学医局の弱体化をもたらした「臨床研修制度」。


現場はこの制度をどのように感じているのだろうか。

まず、学生の観点から見れば、進路選択のモラトリアム期間を得たことになる。
その結果、労働条件や訴訟リスクの高い診療科へ進む者は激減した。


しかし、進路が元々定まっている者(多くの場合、マイナー科専攻者と思われるが)は、別に興味の欠片も無い診療科を2年間もローテートする破目になった。

2年間は短いようで、長い。


ローテートの間に、頑張り続ければ、それなりに得られるものもあるのかもしれないが、失う物の方が圧倒的に大きいとボクは考える。


それはこれから、この診療科で一人前になるのだという気概と若さである。


2年間といえば、麻酔科であれば「標榜医」が取得できてしまう。


また、医学生のヤル気は一般的には卒業時が最も高いのは想像に難くない。



しかし、確かにこの臨床研修制度で得られる物もある。
特に内科(その中でも特に綜合内科)希望の学生・研修医にとっては、勉強のしがいのある制度だ。


問題は「内科、特に綜合内科志望の医師には有益な制度を研修医全体に押し付ける点」にある。

まぁ、やりたいヤツだけやればいいんじゃないか?
の一言に尽きるわけだ。




さて、現場で研修医の面倒をみる上級医(指導医)はどのような考えか。

数カ月おきに来るお客さんにはまともに指導する気にならないというのが、正直な所だろう。


自分の診療科に興味のなさそうな態度を見せる研修医の責任まで取れ、と言われても到底納得できるものではない。


その結果、賢明な勤務医の一部は早期に開業という選択肢をとり、地域基幹病院の疲弊の一助となった。


ボクは思います。
ローテートしたいヤツだけ、ローテートする仕組みにすればいいんじゃないか、って。



では、ここまで医療を壊滅的な状況に追い込んで、臨床研修制度に何を求めているのかと言えば、それはおそらく将来的に「ローテートしたんだから、診てね」という一言のもとに、少ない医師数に多くの患者をぶつけることにあるのではないかと思われる。


最初から医師は足りているを既定路線にしているこの国は医師数を増やすなどということは全くアタマにないのだ。


普段の業務に忙殺される医師にはこの現状を打開する余力は残っていない。


もはや、国民が政府に訴えていくしかないわけだが、マスゴミに扇動され、医師を敵対視する始末。


やはり、国の行く末を案じるよりも、自分と家族のこと、つまり目の届く範囲の安全性を確保して行くことくらいしか、一個人の力では出来ないのでしょうか。


WHOから世界最高水準と評された日本の医療は過去のものになってしまうのでしょうか。