自転車で広島に行く。

 

息子が高校生のとき、東京から広島まで、自転車で走ると言い出した。

友達と二人で、夏休みに1週間くらいかけて走るという。

当時広島の学校で寮生活していたので、そこまで自宅から走っていくのだ。

自転車はママチャリだ。友達はロードバイクだったらしいが、息子はそんなバイクを持っていなかったので、ママチャリだ。

 

スタートは東京で、教会に泊めてもらいながら走るという。手配も下調べも、全部自分たちでしたようだ。手伝わなくても大丈夫かな、と気になりながらも、もう高校生なんだから自分たちでやるだろうと、わざと何もしなかった。

 

倉庫にある、もう使っていないママチャリを使わせてくれという。広島まで乗っていったら、戻ることはないので、そのまま戻せなくなるがいいか、と聞いてきた。どうせ使ってない自転車だったし、じゃあ学校で使ってもらいなさい、ということで、そのまま学校に寄付することにした。

 

宿泊は教会で無料だとしても、途中の食事や飲み物(夏ですごく暑かったはずだ)、何かあった時のお金はどうしたんだったか。少しお小遣いをあげたか、それとも自分のお年玉を使ったか。覚えていない。

 

自転車に関わる自分としては、その決意がすごくうれしかった。自分が好きな自転車で、息子が冒険をしようとしている。すごいじゃないか。よくそんなことをやろうと思い立ったな。自分が高校生のときには思いもしなかった行動だ。親として子供の成長がうれしかった。

 

しかしその一方で、あまり手助けしてはいけないという気持ちも大きかった。せっかく自分でやると言い出したことだ。親が心配してあれこれ手配したり用意したりしてはいけないと思った。ましてや自分は自転車の人なので、やろうと思えば自転車の手配からウエアや雨具や、パンクしたときの道具や地図や、なんでも用意することはできる。

でもそれをしてはいけないと思い、わざと何もしなかった。尻が痛くなるだろうと思ったので、サドルにかけるカバーを貸してやったくらいだ。

 

出発の朝、自宅前から「じゃあ行ってくる」とママチャリで漕ぎ出した息子。その背中を見ながら、あるシーンが重なった。それはこの家に引っ越してきてすぐ、まだ息子が幼稚園のころ、初めて近所に友達ができて、その子の家まで自転車(補助輪付き)で行くと言って、一人で走っていった場面だ。心配だったが、あえて冒険させようと、ついていかずに見送った。おそらく息子が、初めて親の手から離れて、自分ひとりでどこかに出かけた場面だったと思う。いつも親といっしょだった小さな息子が、初めて自分だけで出かけて行った。自分の足で自転車をこいで、一人で走っていった。「ガー、ガー」と補助輪の音をさせながら。その背中を見ながら、息子がだんだん大きくなっていることを実感し、ある種感動していた。

 

そしてそのときと同じように、息子が同じ道をママチャリで走っていった。その背中を見ながら、あのときと同じだと思った。息子はもう大きくなって、一人でやっていけるようになったのだ。広島まで自転車で走ろうとするほど、たくましくなったのだ。

あのときと同じように、小さくなっていく息子の背中が見えなくなるまで、見送った。

 

息子を愛していた。今でも愛している。どこでどうしてボタンを掛け違えてしまったのか。

涙が出てくる。

今も、息子とふたりのかけがえのない時間を無駄にしている。ちゃんと関係ができていれば、もっともっと息子の成長を感じる場面を共有できたに違いない。

 

すべては自分の不倫のせいだ。そして自己中心で息子のことを考えてこなかった自分のせいだ。息子がもっとも多感な時期に、自分は不倫してほかの女の尻を追いかけまわしていた。

「息子が落ち込んでいるみたいだから、ご飯にでも連れて行って、話を聞いてあげて」と妻から言われても、「仕事で忙しい」と嘘をつき不倫相手とホテルでデートしていた。

 

その時間と労力を、息子に注ぐべきだった。悔やんでも悔やみきれない。