がむしゃらに自転車こぎこぎ🚲
空が澄んでていい天気だ
ただ心がついていってないだけで
今転換期がきてるのは自分が1番分かってる
面白いくらいに⚖️が左右に揺れまくる日々
過去、安心を手放した自分を思い出す
あの時手放さなかったら
幸せだったのかもしれない
あの時の私は安心より成長の道を選んだ
だから今の自分がいるんだけどね
だけど今また安心がほしいと心は言う
少しだけ変化がほしい気持ちもある
少しだけね。
私の安心できることって
なんだっただろうな。
考えてたら分かったんだよね。
わからなくて不安だから
「言葉で伝えて欲しい」
お腹空かせた人が飲食店へ行って
店側が何も言わず40分も50分も
待たされたら不信感になる
最初は待つ人は思う。
周りが混んでるから仕方ないか。
だんだん
店側は「言わなくても混んでるの
目に見えるんだからわかってよ!」
でもね毎回わからない時間を待つって
その分お腹空いた自分を我慢させてる。
じゃあ早く出せる店に行ったらいいじゃん
そうじゃないんだよね
私はここの店の料理が食べたい。
だからいつか言ってくれるだろうって
信じて足を運ぶ。
行かなくなるのは
信じたけど。
「見てわかってよ。」
それが続いたとき。
その中で今混んでいて時間かかるから
これくらいお待たせてしまいます。
その言葉があれば人は
お腹すいて待たせられてる気持ちより
忙しい中伝えてくれたんだって
優しい気持ちになる。
結局人を不安にさせるのは
わからない時間をずっとずっとずっと
待たされること。
何も言わない。
わからない。
すれ違うのも
失くしちゃうのも
「言わなくてもわかってよ」
「見てわかってよ」
人間が言葉を話せるのは
手話があるのは
想う気持ちを伝える為にある。
一方通行にならないための
行動なんだと私は
思うんだよね