ある方のブログを読ませていただき、国立西洋美術館で印象派展をやっているのを知り、とても心惹かれていました。





でも、友人からすごく混んでいると聞き、印象派は今まで散々みたから今回はいいかな、、、という気持ちもありました。


前回 モネ 睡蓮のとき は、すごく混んでいて、入場まですごく混んでいました。

同じ日に行った知人は、列を見た瞬間諦めて、トーハクに行き先変更したそうです。



今日は雨☔。

しかも、クリスマスイブ。

お出かけする人は、雨の中、並ぶ美術館にわざわざ行かないんじゃないか。

みなさん、大掃除やクリスマス、お正月の準備で忙しくて美術館には行かないのでは。

しかも、小中高はまだ冬休みに入っていない。

行くなら、今日しかないと家を出ました。




チケット買うための列は少しだけありましたが、入館待ちの列はなし。




イヤホンガイド(650円)を借りました。

目が悪くて、説明書きが見えないから、主要作品だけでも解説が耳から聞こえるのはありがたい。

中も鑑賞しにくいほど混んでいなかった。

蘊蓄を語るおじさんも、感想を喋り合うおばさんもいなくて、よかったです。


一部写真が撮れました。









カイユボットは印象派展に出資し仲間の作品を購入するなど、彼らの活動を経済的にも支えました。1881年にはセーヌ河岸のプティ゠ジェメヴィリエに移り住み、邸宅の庭で様々な植物を成してモネと園芸への情熱を共有します。また邸宅の食堂外に温室で栽培していた開を描くなど、身近な植物による装飾画の側作にも関心を抱いていました。本作は画家の死により未完成のまま残されましたが、同邸宅の壁に設認される予定だったのでしょう。画面全体にヒナギクが散らされるさまは、のちにモネが水面で画面を覆うことになる「睡進」の大装飾画に通じるものがあります。



毛織物の睡蓮


モネの油利画にもとづく応物です。早く

から印象を護したがポジュフロクは、

のちに国常のタペストリー工場である同立

ゴブワン駅介所の所長に観任します。旅は

「運」のタペストリー制かを発案、そうは近性を原画として使用することに両立しました。この2点は同時期に製読され。1913年に繰り上がります。1932年のゴブランプ柄館同館の際には。円形の「題」作品にもとづくもうしたのクペストリーとともに、木製パホルに旅め込まれて眠が公開されました。「[温」に

本来もなわる設動性が、ならかな米日の

質感と調和しています。


モネ 睡蓮


はじめ邸宅の室内装飾を想定していたモネの「睡」連作のアイデアは、やがて公共建築を舞台とする「大装飾画」プロジェクトへと発展します。それらは最終的に、パリのオランジュリー美術館に設えられた

2つの楕円形展示室、通称「睡の間」に結実しました。睡を浮かべた水面に取り囲まれるその空間で、私たちは室内にいながら自然への没入を体感できます。

モネはこのプロジェクトの過程で、習作や関連作を多数描きました。本作は実業家の松方幸次郎が画家から直接入した、それらのうちの1点です。



戦争のために傷んでしまった睡蓮。

こちらは、モネ 睡蓮のとき でも展示されていました。




上 2点


エルネスト・クオスト

バラ


常設展は見ないで、図録とオルセー美術館のグッズを買って帰宅しました。

図録も買うつもりはなかったのですが、展示を見ちゃうと欲しくなる、

フランス🇫🇷へ再訪することはないだろうからとグッズも買ってしまいました。

クリスマスプレゼントは今年はいらないとか、言っておきながら、図録やグッズを自分のために買ってしまいました🤭


印象派を室内での様子を描いた作品や、室内装飾の視点でまとめた構成は、おもしろいと思いました。

時代や、当時の生活も伝わってきてよい展覧会でした。