ストケシア(山本大樹・エピソード) | anemone-baronのブログ

anemone-baronのブログ

落書き小説根底にあるもの!
私の人生は、「存在しなければ、何を言っても正しい」という数学の存在問題の定義みたいなもの。小説なんか、存在しないキャラクターが何を言っても、それはその世界での真実なのだ。

 

 朝の日差しの中自転車のペダルを漕ぐ度に、心が解き放たれる感覚に包まれる。自宅からわずか15分の駅前のコンビニへ。

 

今日のバイトは朝6:30時から11:30時までの5時間、駅前だから朝の時間帯は特に忙しい。

 

出勤すると店長が笑顔と、お客さんの方を見た怪訝した複雑な顔をして「山本君すぐレジに入って」と「おはようございます」の挨拶の前に言われる。
 
 そう僕の名前は「山本大樹、31歳独身」。

 都心から離れること特急で、1時間の山の中にある終点駅から自転車で15分、この古民家の借家に越してきてから6年、時間がゆっくり流れることの喜びを知った。

 

自宅の周りには店一つない不便さもあるが、それを補って余りあるのが、この場所が持つ豊かな自然だ。

朝起きれば、たまに鹿が庭先を闊歩している光景に出会える。こんな田舎で暮らすことが、かつての僕には想像もつかなかった。

 僕の仕事はイラストレーター兼デザイナー。

 

芸術大学を卒業した後、一度は都会のデザイン事務所に就職したものの、その世界に馴染めずストレスから難聴になったためリタイア、病院に行って調べてもらっても原因は分からず。


学生の時に一度だけ来たことのあるこの場所に、その後直ぐに土地勘のないまま引っ越してきた。ここに来てから直ぐに難聴は治ってしまって、「こんなもんなのかな~」っと。
 
 現在はフリーランスで活動している。そう聞こえはいいが、正直なところ、この仕事だけでは生計を立てるのが難しい。

 

だから、駅前のコンビニや地元の工事現場でもアルバイトをしている。

 

30歳を過ぎてもこんな生活をしている僕に、実家の母はよく「大丈夫なの?あんた!」と小言をいう。
 
 僕の両親は小さな食堂を経営している。漁港と市場が近かったため、朝早くから店を開けてた。大学行くまでは諸中手伝わされていた。おかげで料理も上手に成ったけど。


退職時、実家に戻るて事も合ったけど店を手伝わされるのは分かっていたし、まっ夫婦水いらずもいいだろうと思って遠慮しておいた。
 
 さて、この古民家はただの住まいでなく、僕の創作活動の工房でもある。リビングに広げた作業台の上には、描きかけのイラストや散らばった画材が生活の一部となっている。

 

窓から差し込む自然光が、作品に命を吹き込んでくれる。時には、その光が強すぎて目を細めながらも、この光と影のダイナミックさが、僕の作品に深みを加えてくれると感じる。

 少し歩けば、森の茂みが開け、美しい川がその姿を現す。夏になると、その清らかな流れは子供たちの笑い声で満たされ、川辺は小さな冒険の場となる。

 

水面に映る太陽の光がキラキラと輝き、足を浸すと心地よい冷たさが全身を駆け巡る。川のせせらぎと森林のささやく音、それと、野鳥の鳴き声は日々の喧騒を忘れさせてくれる癒しのハーモニーだ。

 秋が深まると、周囲の木々は色とりどりの紅葉で彩られ、川辺はまるで絵画のように美しく変わる。オレンジ、赤、黄色の葉が重なり合い、風が吹くたびに舞い落ちる様は、この季節ならではの豊かな色彩を放つ。

 

 その美しさには、毎年見てもなお心を奪われる。

 

川の流れに映る紅葉の反射は、一層深い秋の万華鏡を感じさせてくれて、一度だって同じ景色は無い。

 そして冬になると、川はその表情をがらりと変える。

 

凍りつく寒さの中、川の流れは静かに、しかし力強く時間を刻んでいく。木々は雪に覆われ、周囲の世界は静けさに包まれる。


 この季節の川辺は、自然の冷たさと静寂が混ざり合い、時には僕自身の存在さえも忘れさせてくれるような場所だ。

 

息をするたびに白い息が空気に溶け込み、足元の雪がキュッキュッと音を立てる。そのすべてが、冬の冷厳な息吹が感じられる。

 この川は、四季折々の変化を見せてくれる特別な場所。ここに来るたびに、自然が持つ力強さと美しさを改めて感じることができる。

 

そして、それは僕の創作活動にも新たなインスピレーションをもたらしてくれる。

 

自宅からそう遠くないこの川は、僕にとってかけがえのない場所であり、創造の師なのだ。

 
 僕のイラストは、この静かな環境と、それを取り巻く自然が共鳴し合いながら生まれる。そして、それが僕の作品を他とは一線を画すものにしているのだと信じている。

 確かに、この生活は決して楽なものでなく、創作活動の不安定さ、そして都会の利便性を手放したことによる不便さもある。

 

しかし、ここでの生活は僕にとって、ただ生産性的に生きる以上の意味を持っている。

 

ここでの時間は、僕が本当に大切にしたいもの、表現したいことを、じっくりと考えるための貴重なものだ。

 

この古民家での生活、そして自然とともにあることが、僕の創作の源となっている。
 
 それから、自宅の前には特に手入れはしていない季節の花々が、何時も僕の帰りを迎えてくれている。

 さて仕事の話だが、基本的にはクライアントから依頼されて行うわけだが、当然最初から仕事があるわけじゃない。

 

僕の当初はデザイン事務所に居たときの、繋がりから声をかけられることがほとんどだったが、知り合いの知り合いはまた知り合いっと言う感じで人脈がどんどん増えていった。
 
 例えば、デザイン事務所の先輩から「手伝って」って連絡が入る。手伝ったクライアント(代理店)から声がかかる。

 

その代理店が使っている印刷会社の方を紹介され、印刷会社からレイアウトデザインの以来をもらい、その代理店で知り合ったデザイナーやCGクリエイターなどの方々と仲良くなり、そこから依頼が来る。……などなどと言った感じで回ってくる。
 
 「仕事とは人である。」事を改めて感じている。

 クライアントが増えると仕事の内容も多種多様になってくる。

 

元々はアナログの絵描きだった、パステル・油絵具・水彩絵具・アクリル絵具・ガッシュ絵具とクライアントの要求に合わせて使い分ける。画材って結構お金がかかるし贅沢品なっている。
 
 それと、デジタルでの制作環境も仕事上は重要なツールになっている。いわゆるコンピュータ・グラフィックス(CG)って奴でこっちでの需要のほうが多くなっている。

 

こっちはモニターの中だけでほぼ完結できるので、画材よりはコストは安い。最近のチョイ仕事の70%以上はCGでの作業が多い。

 

 アナログは趣味の領域に追いやられてきている感じだ。それでも僕はモニターに向かうよりキャンバスを見つめる方が好きだ。

 モニターの冷たい光よりも、キャンバスに実際の色を乗せていく想像力と感触が自分には性に合っているようだ。