閉じたページの向こう側(3)自己との対話(癒やしの鼓動) | anemone-baronのブログ

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落書き小説根底にあるもの!
私の人生は、「存在しなければ、何を言っても正しい」という数学の存在問題の定義みたいなもの。小説なんか、存在しないキャラクターが何を言っても、それはその世界での真実なのだ。

 

”……彼女のスマートフォンが振動し、新しいメッセージの通知が表示された。
 
画面に映し出されたのは、ユウジからの深い想いを込めたメッセージだった。

「君と過ごす時間がもっと欲しい。」彼の言葉からは、彼の深い寂しさや切ない愛情が滲み出ていた。
彼がユキとの共有する時間の減少にどれほどの寂しさを感じているのか、その全てが彼の言葉から伝わってきた。……”            

                                  (文 中元智恵)


 癒やしの鼓動
 
 私たちの親交は、あの秘密の部屋の様なCafé Lumiéreでの偶然から始まった。私は図書館の司書として働き、彼は大学院で経済学を学ぶ学生。私たちの間には、年齢も立場も違いがあったが、それが逆に新鮮な交流を生んでいた。
 
 私は週に2~3回はCafé Lumiéreでランチを楽しむようになっていた。マスターも名前を覚えてくれて、とても楽しい会話をしてくれる。
 
 私たちは、何度かCafé Lumiéreで顔を合わせるうちに、互いの存在に慣れ親しみ、定期的に会うようになった。彼は私の小説に興味を持ち、私は彼の学問に魅了された。Café Lumiéreでの会話は、私の日常に小さなスパイスを加えるようになっていた。
 
 ある日、Café Lumiéreでランチの後、コーヒーを楽しんでいる。マスターが淹れるコーヒーの香りは、焙煎された豆の深いアロマが特徴で、一口飲むごとに口の中で複雑な風味が広がる。
 
 私はカウンターに座ってマスターと話していた。カウンターの奥に置かれた古いグラモフォンの形をしたブレーヤーからは、ビル・エヴァンスの静かなピアノの旋律が流れている。
 
「マスター、ここのカフェは本当に居心地がいいわ」と、私は笑顔で彼に言った。なんとなく、この場所に対する感謝の気持ちを伝えたかった。

 マスターは優しく微笑んで、「ありがとう、中元さん。ここはみんなにとっての安らぎの場所であってほしいのよね」と答えてくれた。

 私は少し脱線して、マスターに思い切って質問を投げかけた。「ねえ、マスター。彼から聞いたんだけど、マスターって東大の“大内兵衛賞”受賞者だって本当なの?」

 マスターは一瞬驚いた表情を見せた後、大きな笑い声を上げながら、名一杯の冗談で答えた。「あははっそうよ。その賞、実はね”東大のカフェテリアで後ろに歩きながらコーヒーをこぼさないで注げるバリスタの理論”で、もらったのよ!」

 私は笑いながら、「イグノーベル賞じゃあるまいし。私だってアカデミーの人間よ”大内兵衛賞”の凄さは知ってます!」と返した。でも、マスターのユーモアのセンスにはいつも心が和む。

 マスターは微笑みながら「本当のことを言うとね、東大は出ているけど、学生時代は学生運動に熱中していたからね。でも、最終的にはこのカフェを開くことに決めた。人とコーヒーが好きだからね。」

「だから、マスターは本当に色々なことを知っているのね」と私は感心した。彼の言葉一つ一つからは、知識と経験の深さが伝わってくる。

「まあね、人生長いといろいろなことがあるのよ。でも、大事なのは常に好奇心を持ち続けることじゃないかな」とマスターは賢く笑いながら言った。

 私はマスターの言葉に共感しつつ、彼が作るコーヒーの一杯一杯に込められた愛情と専門知識を改めて感じ取った。彼のカフェはただの飲食店ではなく、ある種の知恵と温もりが共存する特別な場所なのだと思った。

 私は少しカウンターに寄りかかりながら、気になっていたことを質問した。「マスター、高橋くんとはどういう関係なの?おじさんって言ってたけど」

 マスターは遠い目をして、「ああ、智輝は私の弟の息子。つまり、私の甥っ子になるね。彼の父、つまり私の弟は15年前に失踪してしまってね。それ以来、彼の家族を見守ってきたんだよ」と話し始めた。

「そうだったのね...」と私は驚きを隠せなかった。

「彼は今、大学院で学んでいて、それと、同時に家族を支えるために一生懸命努力してね、節約のために携帯も持っていないのよ」とマスターは付け加えた。

「今時、携帯くらいなと不便だから買ってあげるって言っても、使用量金が高いからいらないって」

 私は感心しつつ、そういえばメールとかやり取りした事なかったと思い。「高橋くん、本当に偉いわね。そして、マスターも彼を支えているなんて、素敵ですね」と心から言った。

「まあ、家族だからね。彼には大きな夢だけを持ってほしい。私にできることは、このカフェで少しでも彼の心を癒やすことだけ。だけどね」とマスターは温かく微笑んだ。

 私はマスターの言葉に心を打たれ、「マスターと高橋くんのおかげで、このカフェは私にとっても特別な場所になっているの。ここに来ると、いつも元気をもらえるの」と感謝の気持ちを伝えた。
 
 マスターが突然、私に問いかけてきた「誰もがみんな幸せになりたいと思ってるでしょ。」私は、思わず「はい、なりたいです。」と答えると。
 
「幸せを求めている自分は、今は不幸なの?人間はさっ、ありもしない幸せの幻想を作って勝手に現実を不幸にしているの」マスターはカップを洗いながら「智輝はね、幸せを求めている訳ではなくて自分の夢を求めているの、だから端から見ると不幸そうだけど本人は十分に、今充実して幸せだと思うわ。」
 
 マスターの言葉に、私は深く考え込んだ。彼の言う「幸せ」の本質について、私は自分自身に問いかける。私は今、幸せなのだろうか?幸せを求めることが、逆に私の現実を不幸にしているのではないか?

「そうか、私たちはよく幸せというものを遠くに求めがちだけど、実はそれはすぐそばにあるのに、気がついていない……」と私は静かに言った。マスターの言葉が私の心に新たな視点をもたらし、私の考え方に影響を与えていた。

 高橋くんのように、彼は幸せを追い求めているわけではない。彼は自分の夢を追いかけ、それが彼にとっての幸せなのだ。そして、そこにはある種の純粋さと確固たる意志がある。彼は現実に囚われず、自分の心に忠実に生きている。

「夢を追うこと、それが自分を成長させ、充実感を与えてくれる」と私はつぶやいた。今までの私は、失恋の痛みにとらわれ、過去に囚われがちだった。しかし、高橋くんのように、自分の夢に向かって一歩を踏み出す勇気が必要なのだと感じた。

 マスターのカフェで過ごした時間は、私にとってただの休息の場所ではなく、自己発見の場所でもあった。ここへ来るたびに私は新たな気づきを得て、私はその静かな空間の中で、自分の心に耳を傾け、これからの自分の歩みについて考え始めた。

 高橋くんとの会話はいつも刺激的で、私の心に新たな風を吹き込んでくれた。彼の視点は独特で、私の考え方に深みを加えてくれる。

 私は、彼が私の小説について話すときの熱心な眼差しを見るのが好きだった。彼のその眼差しは、私の書くことへの情熱を再確認させてくれた。

 私は彼に対して、単なる興味や好奇心を超えた微妙な変化が生じている、もっと深い感情を抱き始めている自分に気づいた。それは、図書館の静かな日常とは異なる、心の鼓動を速めるようなものだった。

 Café Lumiéreでの時間は、私たちにとってただの休息の場ではなく、互いを知り、互いに影響を与え合う場所になっていた。私は彼との会話を通じて、自分自身も成長していることを感じながら。
 そして、彼との関係が単なる社会人と学生のそれを超えてゆっくりと、しかし確実に何か特別なものへと進化していることに、心の奥深くで淡い期待を抱いていた。
 
 
 夕食時、私たち家族はリビングのダイニングテーブルで静かに食事をしていた。母の料理の香りが心地よく空間を満たし、家族の安心感に包まれていた。窓の外はすっかり暗くなり、部屋の中だけが温かい光で照らされてる。

 母が私の顔を覗き込むようにして、優しく言った。「智恵、最近なんだか元気になったみたいね。いいことあったの?」

 父はお茶目に微笑みながら、私に目を向け「何か良い出会いでもあったのか?」彼の言葉は軽い冗談のようで、しかし父なりの愛情表現だった。私は少し頬を赤らめながら、心の中で高橋くんのことを思い浮かべつつ、「ううん、特に何かあったわけじゃないけど...ただ、新しいことに挑戦してみてるの。それが、なんだか楽しいのよ」と答えた。

 母は私の言葉に安堵の表情を浮かべ、「そう。智恵なら大丈夫よね。いつも自分の道をしっかり歩んできたもの。」と優しく励ましてくれる。

 父も頷きながら、「自分で選んだことなら問題ないさ。お父さんもお母さんも、いつでも応援しているから」と言葉を添えた。そして、父は真面目な顔で、「ただ、変な男を連れてきたら許さないからな!」と冗談を言った。

 私は笑いながら、「父さんみたいな人は連れてこないから大丈夫よ」と返した。それを聞いた母が、「あらあら、私が一番損をしているのね」と茶化すと、父は少し拗ねたように「おい!」と言って、私たちは皆で大笑いした。

 私は両親の温かい言葉に心から感謝し、心の中で「ありがとう、お父さん、お母さん。私も自分なりに頑張るわ。」と自答していた。

 その瞬間、心の中で高橋くんの顔が浮かび、彼との出会いが私に新たな勇気を与えたことを感じた。彼とのやり取りが、新しい自分を見つけるきっかけになっていることを。
 
 夜、部屋の電灯だけが私の周りを照らし、窓の外は静かな闇に包まれている。机の上には、悠一との思い出を綴ったページが散らばっている。しかし今、私の筆は過去の影を追いかけるのではなく、前を向いた物語を紡ぎ出すようになっていた。

 高橋くんとの会話が、そしてマスターとの会話が、私の心に新しい風を吹き込んでくれた。彼の視点、彼の熱意、彼の学びへの真摯な姿勢が、私の創作活動にも影響を与えていた。彼とのやり取りは、私の中の悠一を少しずつ色褪せさせ、新しいキャラクターに生命を吹き込んでいた。

 ペンを走らせる手が止まり、私は窓辺に座り、深い呼吸をして夜空を眺めた。心の中で問いかける。「高橋くんとの出会いは何を意味しているのだろう?私の心はなぜ、彼の言葉にこんなにも動かされるの?」と自問自答する。もしかすると、私は悠一との過去から離れ、新しい何かを探し求めているのかもしれない。

 私は自分の内面に目を向け、感じている新しい感情の変化を認め始める。「高橋くんとのやりとりは、私に新しい視界を開いてくれた。私の創作に新しい息吹を与え、私自身にも新たな可能性を感じさせてくれる。」

 心の中で、悠一への未練がまだ完全には消えていないことを知りながらも、新しい物語の展開に胸が高鳴る。高橋くんとの出会いが、私の小説にも、そして私自身にも、前進するための力を与えてくれていた。

 私は、新しい章の最初の一文を書き始める。主人公はもはや過去に縛られた女性ではなく、自らの力で未来を切り開こうとする女性へと変貌を遂げていた。その背中には、失恋の痛みではなく大切な思い出として、新たな出会いから得た希望の光がある。

 机の上の紙には、高橋くんとの会話が織りなす新しい物語の断片がちりばめられている。私はそれらを拾い上げ、一つの物語に結びつけていく。彼との出会いが私の創作に少しずつ変化をもたらしていく。

 私は気づく。自分の中にあった悠一への感情が、徐々に形を変え、高橋くんとの出会いが私の小説を、そして私の心を新しい方向へと導いているのだと。