イッショウケンメイ
今日、銀座ではオリンピック日本代表の凱旋パレードが行われた。
個人の、チーム、あるいは国家の誇りと名誉を賭してロンドンの熱い夏を戦いぬいたサムライ達が帰ってきた。
諸兄の奮闘により今回は多くのメダルも獲得できた。
まぁ、勝負の世界とは言えメダルの数、云々よりその、一生懸命でひたむきな姿には感動せずにはいられない。
ところで、この一生懸命と言う言葉。
元々はサムライとの関係が深い。
語源は一所懸命。
イッショケンメイが転じて、一生懸命となった。
平安末期、関東や東北を開拓して行ったフロンティア達が武士となる。
律令制度が、崩壊し、自分で開墾した田畑は自分達で守る必要があり、彼らは武装した。
その集団を武士団あるいは武士と呼ぶ。
一族で死ぬような思いでせっかく荒れ野を切り開き、作物を獲れるようになっても、略奪されてはたまらない。土地を守るために武装した。
後に封建制度が確立すると、御恩と奉公と言う関係が生まれた。
地所と武士の関係はさらに深まる。
所領安堵のかわりに主君に忠誠を尽くす。命を棒て残された家族、次の世代の一族の為に領地を残す。
貨幣経済が発達する前は、自らの地所からの収穫が一族郎党の生活の支えである。
その地所を守るため、必死だそれこそ命をかけて。
なので、一所に命を懸ける(漢語体、読み下せないと人多いと思うので口語で書く)。と言う意味。
で一所懸命と言う言葉が生まれた。
それこそ、領地を守るために一生懸命(一所懸命)であった。
翻っての今日の日本では、領空、領海は侵犯されあまつさえ、竹島、尖閣への上陸すらゆるしてしまう。
かつてのように、次世代に継承させるべき、一所を文字通りの一所懸命で守っているのだろうか?
とにかく、オリンピック選手の皆様お疲れ様でした。
自分もいつか出て銀座で街宣凱旋したい。