Anatole France " Nos Enfants"
アナトール・フランスの『子どもたち』という絵本です。
子どもが主人公の短いお話が9編収められています。
おばあさんの家に行ったり、友達と遊んだり、学校の一場面だったり、
子どもの日常の風景が
あたたかく静かに語られます。
Il y a dans la cros de la mere-grand de l'herbe, des fleurs et des oiseaux.
Fanchon ne croit pas qu'il y ait au monde un puis joli clos.
Deja elle a tire son couteau de sa poche pour couper son pain, a la mode du village.
お祖母さまのお庭には、草があり、花があり、小鳥が飛んでいたのです。
ファンションは、もっときれいなお庭がこの世の中にあろうなどと、思ってみたこともありません。
早速彼女はポケットからナイフをとり出しました、そうして在方衆のやり方で
パンを切りにかかりました。(①p.10)
フランス語は二年習って覚えてるのが
Je ne sais pas (ワカリマセン)だけという体たらくなのですが;←蹴
それでもなんとか言葉を追っていくと、平易な文章ながら質量があって
リズムや響きのなかにしっかり芯が通っていることに気づかされます。
作者のアナトール・フランス(1844-1924)は
フランスの詩人・小説家・批評家で、1921年にノーベル賞を受賞しています。
挿絵はモーリス・ブーテ・ド・モンヴェル(Louis-Maurice Boutet de Monvel 1850-1913)。
ケイト・グリーナウェイに影響を受けたそうで、
言われてみるとああ確かに、となりますが
透明感のあるあかるさというのでしょうか、よりさらりとした印象を受けます。
朝起きて窓を開けたときの空気、夕暮れの中家まで歩くときの空気、
そうしたものがすんなりと画の中に織り込まれていて
ずっとながめていられます。
しっかりした重みがあるけど詩のような文章と
すっきりしつつもあたたかい挿絵がとてもよく合っていて、
ほんとに好きな絵本です。
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もともとは、1886年に"Nos Enfants"という題で
19編が収録された単行本が出版されました。
1900年に、上下二巻本として再び刊行され、
上巻がこの"Nos Enfants"です。
下巻は"Filles et Garcons(少年少女)"という題になりました
その後、ドイツ国立図書館が
ヨーロッパの戦前の古い絵本を蒐集したコレクションの中から、
ドイツの作品を中心に、フランス、スイス、ロシア、オーストリアなどの名作を選んで
原書を忠実に再現した、ベルリン・コレクションというシリーズを復刻しました。
"Nos Enfants"はそのうちの一冊です。
さらに、1983年にぽるぷ出版から、
ベルリン・コレクションの中から20冊を選んで復刻した
『復刻 世界の絵本館 ベルリン・コレクション』 というシリーズが刊行されました。
私が持っているのは、このぽるぷ出版から出た復刻版です。
背表紙がちゃんと布貼りになっていて本格的
フランスで出版されたオリジナルの本を
ずっと前、一度だけ古本屋さんで見かけたことがあります。
それはやわらかな、仏蘭西感漂う色合いでした。
家賃のほぼ半額という
あまりに無謀な値段で諦めましたが;
その後、偶然この復刻版に遭遇して
今はこの本が本棚にいてくれてます。
別枠一位が裏表紙、
女の子がこの本を抱えて読んでいます。
絵本そのものが本に入り込んでいるのが壺すぎる
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日本語版だと、昭和12年に出版されたこちらで読むことができます。
上で述べた上下二巻本が底本になっていて、19編が収められています。
訳が三好達治で、これがもうほんとに見事。
ご本人はあとがきで自分の力不足が恥ずかしいと謙遜してらっしゃるのですが、
「壁暖炉」に「シュミネ」、「林檎酒」に「シードル」などとルビをふってあるところや
詩のリズムを生かしているところ、漢字とひらがなのバランスなど、
細かい箇所まで神経を使って訳されたのがよくわかります。
自分内で光速帽子offだったのは
C'est ainsi que Fanchon rentra chez sa maman, accompagnee d'une musique aerienne.
やがてこんなふうにして、ファンションはお母さんのお家に着きました、なか空の歌声に送られながら。(①p.15)
以前、「翻訳は原語の語学力よりも日本語能力だ」と先生が仰っていたのを思い出します
岩波文庫が出版された当時、
「少女の友」という雑誌でブックレビューを連載していた村岡花子も、
三好達治が、翻訳から想像するに「いかにも気品の高い、子供好きの(中略)
真実の意味での少年少女の友とするべき人のような気がします」と述べた上で
次のように書いています。
『少年少女』は童話集と言うには、あまりに意味深いものです。(中略)
「詩」を持った童話ーー散文詩的童話ーーとでも評しましょうか、
一つ一つの小さいおはなしはまるで一粒一粒の宝石のよう、
これは少女の方の心の糧であり、たましいの歌となるものです。
是非、読んでその深い意味を考えてごらんになるようおすすめいたします。
(「少女の友」1938(昭和13)年3月号・②p.143)
たしかに子ども向けの短いおはなしの体を取っているのですが、
正しいことを言い出したときには、滅多に耳を籍してもらえないのが世の常です(①p.12)。
二人の間に立っているジャックは、左隣の仲間を見るか右隣の仲間を見るかに従って、
自分を大きいとも小さいとも考えることができるのです。これが境遇というものです(①p.34)。
働いて得たスープよりも、おいしいスープはありません(①p.74)。
などという箇所を読むと、ああほんとにそうだなぁと改めて思います。
かつて引っ越しに次ぐ引っ越しを
エミリーシリーズや『自省録』などと一緒にのりきった文庫本のうちの一冊です。
ずっと手元に置いて、読み返したい本です。
<おまけ>
昭和4年に出版された、薄田泣菫の『艸木虫魚(そうもくちゅうぎょ)』に収録されている
「古本と蔵書印」という随筆に、アナトール・フランスが出てきます。
本屋の息子に生れただけあって、文豪アナトオル・フランスは無類の愛書家だった。
巴里のセイヌ河のほとりに、古本屋が並んでいて、皺くちゃな婆さんたちが編物をしながら
店番をしているのは誰もが知っていることだが、アナトオル・フランスも少年の頃、
この古本屋の店さきに立って、手あたり次第にそこらの本をいじくりまわして、
いろんな知識を得たのみならず、老年になっても時々この店先にその姿を見せることがあった。
フランスはこの古本屋町を賛美して、「すべての知識の人、趣味の人にとって、
そこは第二の故郷である。」と言い、また「私はこのセイヌ河のほとりで大きくなった。
そこでは古本屋が景色の一部をなしている。」とも言っている。
彼はこの古本屋から貪るように知識を吸収したが、そのお礼として
またいろいろな趣味と知識とを提供するを忘れなかった(③p.260)。
実家が本屋さんの作家というと林真理子を思い出しますが
アナトール・フランスもそうだったんだとびっくり。
『少年少女』のイメージが大きくて、
他の小説などは読んだことがないので
機会があればいずれ読みたいです。










