パーキンとガイ・フォークス
性懲りもなくパーキンの続きです。
ビートン夫人のレシピ で作ってみたあと、
他の本にも作り方が載っているのを見つけて
焼いてみました。
これはアメリカ人の方が書かれた本で、
『秘密の花園 』の舞台であるヨークシャー地方の料理がたくさん載っています。
訳と解説が北野佐久子さんです。
口絵の写真にはディッコンが住んでいたような白壁の農家や
店頭で売られているパーキンの写真が載っていました。
小さい頃のバーネットが食べたのと同じ、まるい平たい形のパーキンが
ガラスケースの中に積まれていて(p.viiii)
丸型もたしかにあるんだと確認できたのがとても嬉しかったです。
こちらはイギリスで暮らしてらした方が書かれた本で、
季節ごとの行事とそれに因んだ食べもの・飲みもののレシピが載っています。
生活した人でないとわからないような、
地元に根付いた村の夏祭りや季節の野菜の収穫についてなど、
ほのぼの楽しいのが伝わってきました。
この二冊に載っていたレシピはとてもよく似ていたので、②の本ので作りました。
ビートン夫人と違うのは、卵と牛乳、砂糖、重曹がプラス、
それにオートミールの割合がぐっと減って代わりに小麦粉が入ることです。
ビートン夫人のパーキンがオートミールバー寄りだったのに較べて、
こうなるとかなり普通の焼き菓子(パウンドケーキとか)に似てきました。
素朴さは変わらず、しっとり食べやすくなった感じです。
砂糖は本来は黒砂糖なのですが、家にあったブラウンシュガーを使ったので
色が明るめになっています;
「北イングランドには、パーキンやジンジャーブレッドのような、
ジンジャーを使った伝統的なお菓子がたくさんあり」、
パーキンはもともと、「ケルト族やキリスト教のお祝い菓子(②p.112)」だったのだそうです。
そして、「ヨークシャー地方では、オートミールは小麦粉よりもずっと安く、
手に入りやすい材料で」「労働者階級では主食(②p.81)」だったのだそうです。
トリークル(糖蜜)もまた、手に入りやすく
産業革命期の北部の労働者階級にとって、とても重要な食材がこの二つでした。
そう考えると、ヴィクトリア女王考案のヴィクトリアケーキ は
卵+白砂糖+ジャムが必須&
作り方が簡単だと言っても、ハンドミキサーもない頃、一日がっつり働いたあとに
「卵白を角が立つまで泡立てろ」とか言われたら「知るかー」となると思います…
今でこそシンプルなお茶菓子の部類に入ってい(る気がし)ますが、
本来、女王様(使用人を置ける人)が自分以外の誰かに焼かせていたお菓子だったことを痛感しました。
その点混ぜてオーブンに入れたら完成、日持ちのするパーキンはスバラシイ。
手に入りやすい材料で気楽に作ることができて、
保存も利くし持ち運びやすいと、作る人からしたらほんとにありがたやです。
「専用の入れ物まであったそう(②p.89)」なので、いつか見てみたいものなり
パーキンを持って工場に働きに行く人も多かったそうで、
休憩時間にみんなでお茶を飲んで温まったのかな…?
いろんな生活の知恵がつまった、やさしいお菓子だなと思いました。
パーキンは、11月5日のガイ・フォークス・デーに食べる習慣があるそうです。
ガイ・フォークス・デーとは、1605年11月5日に起こった
火薬陰謀事件にちなんだ記念日です。
当時のイギリス国王はジェームズ1世でした。
この人はスコットランド女王メアリー・スチュアートの一人息子です(参考:■ )。
ジェームズ6世としてスコットランドを治めていましたが、
イングランド王エリザベス1世の没後、イングランド王とアイルランド王も兼ねることになり
1604年にジェームズ1世として即位しました(ややこしい;
プロテスタントのエリザベス女王は、宗教的には緩やかな中道政策をとっていたものの
カトリック教徒の人からすると、スコットランド出身のジェームズ1世の即位は
やはり歓迎すべきものでした。
同じように、プロテスタントの下で圧迫されていたピューリタン(清教徒)の人々も
ジェームズ1世に期待していました。
ところが、1604年にプロテスタントをはじめ、宗教各派の代表者を招いて開いた会議で
ジェームズ1世は英国国教会=プロテスタントを優遇することを決定します。
一歳で母と別れ、摂政だったマリー伯ジェームズ・スチュアート
(母メアリーの義理の兄)はプロテスタントだったため、
ジェームズもプロテスタントとして育てられていたのでした。
国王はカトリック教徒とピューリタンを敵に回すことになってしまいました。
そこで、「英国国教会に反発するカトリック教徒13名は」
ウェストミンスター宮殿内の国会議事堂で行われる
上院の「開院式に出席する国王ジェームズ1世と
国会議員の爆殺を企てました(②p.89)」。
予め議事堂の地下に大量の火薬を運び込んでおいて、
開院式の日にそれに火をつけ、爆破してしまおうという計画です。
従軍経験があり火薬の扱いに慣れていたこと、敬虔なカトリック信者であることなどから
点火係に選ばれたのがガイ・フォークスでした。
ですが、当日(11月5日)、計画が露見して
地下に隠れていたガイ・フォークスは捕らえられ、翌年処刑されてしまいます。
「英語で、男を表す「GUY」は彼の名前が由来になっている」由(②p.89)。
ジェームズ1世自身はスコットランドとイングランドの統一を願っていたそうで、
1606年には両国の国旗を重ねたデザインの初代ユニオンフラッグを制定しています。
1801年にアイルランド国旗が重なって現在のデザインになりました
で、「国王の無事と火薬陰謀事件の阻止を記念して(②p.89)」祝われるのが
ガイ・フォークス・デーです。
ボンファイヤー・ナイトと称して
かがり火(大きなたき火のてっぺんにガイ・フォークス人形をのせて点火)と
それに続いて花火が催され、
ヨークシャー地方ではパーキンを食べる習慣があるのだそうです。
そして!
「ガイ・フォークス」で「あー!!!」と思い出したのが
『とびらをあけるメアリー・ポピンズ』で
メアリー・ポピンズが三回目にバンクス家にやってくる日が
まさにガイ・フォークスの日なのです。
家中がめちゃくちゃ、なにもかもうまくいかず不機嫌なジェインとマイケルは
花火を持たされて、煙突掃除夫と一緒に公園へ向かいます。
公園番と絵描きのバートも仲間入りして花火をしたところ
三発目の打ち上げ花火が不発だったのですが、それと入れ替わるように
空から下りてきたのがメアリー・ポピンズだったのでした。
ロンドン在住のジェインとマイケルのところでは
焚き火はなしで、花火を打ち上げる日という描かれ方でした。
パーキンを食べる習慣もなくて、いつも通りお風呂に入ってお茶を飲み、
目にもとまらぬ早さで寝かしつけられます。
この本のあとがきに、作者のトラヴァースがつけた注が載っています。
ガイ・フォークスの日の由来について、
「アメリカの七月四日[姉注:独立記念日]のように花火を打上る日」であること、
「一六〇五年から一九三九年まで、どの州の、どの村の広場にも、
ガイ・フォークス祭りの日には、かがり火がたかれ」たこと、
小さい頃のお祭りの思い出などが書かれた後、こう続きます。
ところで、一九三九年以来、村の広場には、ぜんぜん、かがり火がみられなくなりました。
あかりを消した公園では、花火のかがやきもありませんし、街も暗くて静かです。
しかし、この暗さも、永久に続くことはないでしょう。
いつの日か十一月五日がやってきてーーほかの日でもかまいませんがーー
イギリスの果てから果てまで、かがり火が明るくつらなって燃えるようになるでしょう。
子どもたちは、まえのように、火のまわりを、踊ったりはねたりするでしょう。
手をとりあって、打上げ花火のはじけるのを見たあとは、歌をうたいながら、
あかりのいっぱいついたお家へもどるようになることでしょう・・・(p.366)
訳者の林容吉さんは、これに続けて、
「第二次世界大戦のはじまったのが一九三九年で、この注の書かれたのは一九四三年、
つまり、戦争の終った一九四五年の二年まえだということは、
注意しておく必要がありましょう(pp.366-367)」
と述べています。
最初に読んだ小学生の頃は
花火=夏休み という思考回路だったので
どうして冬場に花火なのか、すごく違和感がありました。
ですが、これを踏まえて読んでいくと、物語のラストは
「わたくしのいったこと、みんな、覚えておいてね(p.348)」と言い置いて
これを最後にバンクス家から去ってしまうメアリー・ポピンズと、
空中の扉を開けて行ってしまう彼女を見送りながら
「けっして忘れない、(p.360)」とつぶやくジェインとマイケルの姿が。
「残した贈りものの数々は、いついつまでも、失われることはないでしょう(p.360)」という言葉には
第二次世界大戦のさなか、八年ぶりに(前作『帰ってきた~』が1935年)
ガイ・フォークスの花火とともにメアリー・ポピンズを呼び戻した
作者の信念と、未来への希望が感じられるようにも思いました。
そして②の本に、お祭りの写真と合わせて
2005年のガイ・フォークス・デーは400周年記念で例年以上に新聞などに取り上げられていたことや、
毎年、料理雑誌の11月号ではボン・ファイヤー・ナイトの
食べもの特集が組まれることなどが書かれているのを読んで、
「トラヴァースさん大丈夫みたいですよー」と(何様;)何だか安心したのでした。
「ジャケット・ポテトとトフィー(①p.87)」や
「あつあつのスープやソーセージ・ロール、モルドワイン(②p.89)」が定番のようです
最後に、北野佐久子さんの本に載っていたパーキンを作ってみました。
「湖水地方で(中略)偶然泊まり合わせた、
ヨークシャーに住んでいるイギリス人一家から教えてもらったもの(p.169)」だそうです。
材料からオートミールが消えて、粉類は全量が小麦粉に。
重曹に加えてベーキングパウダーも入り、最後にくるみをのせて完成です。
普段作っている焼き菓子に限りなく近かったです。
今までの二つは「パーキンです」と言って説明してから出すけれど、
これは「くるみのジンジャーケーキです」と言えば
素直にパウンドケーキ系の一種として食べてもらえる感じ(わかるかな;
しょうがの温まる感じやブラウンシュガーの素朴さを残しつつ、
時代が下って豊かになっていくにつれて材料が微妙に変わって
食べやすくなっているのがおもしろいです。
生活の中で少しずつ変化して、やっぱり家で作るお菓子なんだなぁ。
パーキンもガイ・フォークスも、
深く考えずに放置していたのが今頃こんなところでつながって、
なんというか不思議な符合に月日の流れをしみじみと思いました。
まんなかあたりで出てきたばらはL.D.ブレスウェイト、作秋の写真です
<参考文献>
イングランド労働者階級の形成
』(青弓社、2003年)
レイモンド・ウィリアムズ『文化と社会―1780‐1950 』(ミネルヴァ書房、2008年)
<2013年1月26日訂正>
最後のパーキンのレシピが掲載されている北野佐久子さんの本③、
24日にアップした時点では『幸福なイギリスの田舎暮らしをたずねて 』と書いていましたが
正しくは『美しいイギリスの田舎を歩く! 』です。
完全に私のミスです。ご迷惑をおかけしまして、本当に申し訳ございませんでした。
ご指摘下さったfiligreeさん、ありがとうございます(深々。助かりました。











