今日は、久しぶりに富山大学へ。

単発のバイトだった。


都会の会社の仕事は、ほんとシステマティック。

マニュアルが2週間前に届き、何度も読み返す。

一般のお客さんが相手なので、怖くて読み返したのだ。

現場でパニックはカッコ悪い。


で、仕事のことは知り得た秘密に当たるので話せないが、疲れたことだけは伝えておきたい。

ホント合理的になっていて、疲れた。

大きな仕事はこんなふうに整理すると、やれるのだ。


そんなことはさておいて…

久しぶりの富大はきれいに整備された学校だった。


富大は正面ゲートをくぐると大木の並木が並ぶ。

その両側に理学部、教育学部等の校舎が並ぶ。

40年前の印象は古いドイツの街並みを観ているような感じだった…。(年季の入った…と云うか)しかしながら、現代的な建物が今日は、並んでいた。整備され、美しいとさえ感じる。




整備された施設で、日々更新されて今に至っているのか…と美しさに浸って眺めていた。

フト気がついた。


アレ?
窓の奥にまた壁がある。

近寄って見てみると…
なんのことはない、元々の校舎は塗装はされているが、そのままでその外側に窓(空間だけ)の開けられた壁が設置されているだけだ。元壁と新壁の間に、空調やら配管やらが走りまくっている。言うなれば、新外壁はゴチャゴチャを隠すための壁なのだ。

その新外壁と元壁がしっかり結び付けられている。


つまり、耐震化工事の手法のひとつなのだ(と想う)。
しっかりした新外壁を作り元壁としっかり繫ぐ。
ついでにみっともないものを全部隠す。

「ハリボテ」だ。あの整備された美しさは。
あの美しい壁の内側に配管や電線や空調整備やその他が見えないように隠されている。
遠目の景色だけ美しい。


「ハリボテ」と言うとチューリップテレビに居た、五百旗頭(いおきべ)記者を思い出す。彼が作った映画の題名だ。

富山大学も「ハリボテ」だった。
あの美しさは、ハリボテの表面だけだったのだ。

しかしなぁ〜…
文教予算をケチり、しかして、見かけだけに注力。
これが、現代の教育への姿勢なのか…。

たぶん建築家とかデザイナーの統一的仕上げなのだろう。だから、一瞬、統一的で美しい。かつての校舎は、必要が生んだ形と言えるのかも。工学部、教育部、工学部等それぞれの個性?形を持っていたように想う。
だから「街」に感じたのだ。各ビルがそれぞれ声を上げていると言うか…

今日は理学部で一日過ごしたが、弟はこの校舎の中で生きていたのだなぁと想う。なかなか複雑な校舎づくり。使っている人でないと迷子になりそう。だから、今日の私の仕事が生まれたのだろう。私自身迷子になったので、お客さんをそうさせるわけにいかない。案内役に5人も雇い、お客さんを誘導する。大学で開催するというのは、そのイメージバリューのためだろう。大学の方も賃料を稼げる。研究や教育施設の切り売り、時間売り…そうやって大学はやっとやっと成り立っている。

大学の授業料の引き上げが問題になっている。その前に研究者を任期付にし、すぐに成果の上がる研究の数で評価する。そんなバカな方針で運営されている。要は「稼げる大学」を目指している。

ニッポン衰退を今日は一日見ていた気がする。