私はロジャーズ派の方々が運営する研究会で育ちました。当時、富山大学に在った富山カウンセリング研究会が私の母体というところでしょうか…そこには教育、医療、矯正関係の人々が集まり、ロジャーズの行うカウンセリングとやらを身に着けたいと想う人々の集まる研究会でした。主にベーシックエンカウンターが活動の主体でした。後年ロジャーズが活動の主体とした活動です。


一方、私の中には河合隼雄さんの紹介したユング派にも惹かれていました。後日、山王教育研究所で「箱庭療法」を学びそのおもしろさに心惹かれましたし、ボスナックさんのドリームワークにも来日されるたびに学ばさせてもらいました。


富山の田舎に住んでいると、飢えていたのでしょう…チャンスがあると見るとどこへでも飛び込んでしまいます。ミンデルのプロセスワークにも何度か参加させてもらいました。


ただ、根っこにはロジャーズが張り巡ってしまったようです。カウンセリングとは、人と人との出会いそのものなのだと信じています。だから、カウンセリングと言う言葉も使いたくないと考えるようになっています。


人と人とが真に出会える空間・時をカウンセリングと呼んでいるんだなぁ〜とさえ、思っています。先程言った「ベーシックエンカウンター」って、そのことを研鑽しようとする集まり(ワークショップ)なのだと思います。別の言葉で言うとカウンセラーを育てると言うよりカウンセリングの出来る身体を育てているワークショップなのだと思います。つまりは人と人の出会いが出来る人間になるワークなのだと。


ですから、ロジャーズ派はカウンセラーと言う役割の存在を念頭には置いていません。資格というのも考えてはいません。資格があるから、人と人との真の出会いが生まれるわけではないからです。ロジャーズはそう考え、エンカウンターグループの実践に後年は邁進していったのだと思っています。


若気の至りと言うか、エンカウンターグループで育った私はどれ程の力が備わっているのだろうと不純な想いを抱いてしまったのです。で、「産業カウンセラー」の養成講座、試験に挑戦してみました。すると合格出来たと同時に、講座の中で目をかけてもらったのか、養成講座の運営に加わり、やがて実技指導者として携わることとなりました。やがて、協会の仕事もするようになり、そのうちに北陸事務所長を仰せつかりもしました。当時は、産業カウンセラー協会へ申し込まれた面接や建設省工事事務所のカウンセラー、勤労青少年ホームの心理カウンセラーなどもやっていました。


やがて、小泉改革が始まりカウンセリングの世界も大きく変化していきました。当時国家資格ほど権威ある資格ではなくとも国が認定した資格として唯一の「産業カウンセラー」は一目置かれていました。その育成を我が校でもと各種学校は動きました。で、産業カウンセラー協会での独占は駄目だと国の方針は決められました。規制改革の一つです。産業カウンセラーの開放と言う言い方もできますが、聞く事への研鑽をミニカウンセリングを主として自らの成長を図ってきたカウンセリングが、資格の面への重点移動が起こったとも言えます。


ここのところ伝わらないかもと恐れています。

結果的に内面からその力を育成することより、外面的な資格付与としての商売的側面が幅を利かすようになりました。


同時に青少年ハウスで行われていたカウンセリング事業は予算の削減が始まりました。関西を中止に廃止市町村が増え、やがて全国的に無くなりました。カウンセリングと言う甘えさせることではなく、働かせるように指導して欲しいとお役人さんの言葉を私の耳は聞かきました。一緒にこの事業を育ててきた、そのお役人さんからの口から出た言葉です。


小泉改革とは恐ろしいものでした。仲間の再生のために力を付けていた活動が資格付与、資格取得のための商売化がメインになりました。(それに贖う努力をしていた幹部達には尊敬の念さえ抱いています。)

しかし、商売化への流れは大きかったです。


やがて、商売化の流れは富山カウンセリング研究会にもやってきました。出会いのできる身体・心のためのワークはやがて資格付与のための側面が強くなってきました。NPO法人化し、資格付与のための教育機関となりました。加盟していた上部機関=全日本カウンセリング協議会自体が、そう変質していったのです。世は資格の時代となり、それを糧に生き始めたのです。


バカな私は、産業カウンセラー協会も富山カウンセリングセンターも…それと「カウンセリング」という名を捨てたくなってしまいました。


そして想ったのは、英語をカタカナにしただけの名ではなく、本来のこの国に棲んでいた人々の使っていたその名前を探し出したのです。(ロジャーズがカウンセリングと呼んだそれのこの島々での呼び名を。)


細々と邪魔されない空間を助けを借りて、維持はしてきたのですが、いつまで保てられるか…先は短そうかもしれません。


ただ、最後にやってみるだけ…必要と感じる人がいる間はやってみようと…その中で先を考えていければと。


私は、商売化したくないので、食べることは別に確保しています。とりあえずは場所の保全に御協力を賜りたい、そんな感じです。カウンセラーと言う存在さえ、資格の生み出した仮の呼び名です。


どうでしょう…

今の自分は、誰と出会ったからでしょう。

意外と専門家と呼ばれる人ではないかもしれません。

誰かとの何気ない会話の中で、それはフト見つかるものかもしれません。その瞬間をユングはコンステレーションと呼び、それが生まれる環境(ふたりの関係)…環境を創れる身体をロジャーズは育てようとした。


そんな気がするのです。

カウンセラーと名乗りたくない私は、そんなところに居るように思います。