悲しい譚(はなし)


日刊スポーツさんに載っていたのだが…


そのおしらせ…


『営業する中で、駐車場のルールいはん、カスハラ、…注意したことをやめてくれないなど、悲しい出来事があまりにも多いことで、営業を続ける意欲が無くなったことが一番の理由になります。


なんと、

哀しい想いを言葉にしなければならないのでしょう。


衰退の国、ニッポン。

誰かがと言うより、一粒一粒が潰れ始めているのかも…

縮小していくのも当たり前なのかもです。


支える気力が、また一つ折れました。


私達の米づくりはまだ、「わしの代で終わりか…」位で、と数年の希望を繋いでいますが、1800年に開墾した人々の想いの火を消す事は同じです。(政府の大型化などは何も知らないから、やっていないから語る夢妄想。(お坊っちゃん)バカが知ったかぶりに決めてるのでアホくさくなっているのも事実。)


先のことを考えずに、今をつなぐことだけを考えて良しとする。だから「わしで終わり」。


なんだか原発と似ている。原発に舵を切った頃から、今の状況に漠然と向かって来たのかも。

便所の始末も決まってないのに入居したマンション。

その中で暮らしていたら、当然だよね、今だけを考える。

先のこと、始末のことを考えてたら、このマンションには住んでられない。


考えてみると、「道徳」を口やかましく叫ぶほど、それは衰退していくのかも。原発を推進してきた輩は、元号法を決め、教育基本法を改悪し、道徳を教科化し、選択的別姓を認めず、今、民法を、地方自治法を変えようとしている。なんのことはない明治を復活しようとしている。(共同親権は決められてしまったんだった…)


私には、明治教(?)信者が蔓延ってきたようにしか見えないのだが…


選民思想のこの宗教は、その信者にならないと、なかなか生きづらい。意欲が湧いてこないのだ。