背中に負担が相当溜まってきたので…
今日は、温泉。
じゃらんから今月内有効のポイントプレゼントがあったのだ。行った先はいつもの中尾温泉。
湯の花が舞う…硫黄臭の微かに漂う温泉だ。
いつもながら、極楽、極楽。
せっかく奥飛騨へ来たので、そのまま平湯温泉へ。
ここでは、2回入ってしまった。
タオルは赤くなってしまうが、いい温泉!
しかしながら今日は、熱い湯ばかりだった。
中尾温泉は44.8℃、平湯温泉が45.1℃。
私の背中は帯状疱疹後神経痛によるもの。いつも冷たく感じ、その冷たい場所は激痛を呼ぶ。何度もうめき声を上げることとなる。
とにかく温めたい想いには、先程の温度は好感でしかない。
ありがたいことだ。
ただ、平湯の2回目は水のホースが湯船に差し込まれていた。誰かが水を入れたのだろう。少しぬるくなってて…残念。早々に上がってしまった。
気を取り直して、最後に栃尾温泉へ…。
ここは42.1℃。ここの湯は温まる湯なんだけれど、まぁ、普通の湯という感じになってた…。沢山の人が入るとぬる目にうめてしまう人が必ずいる。
テキ屋のおじさん達が先に入っていて、彼らの話にも興味があったが、早々にあがった。
イレズミの身体には、最初チト怖さを感じたが、ロケットの打ち上げを追いかけている話…。人間味を感じてしまった。
今日撮った小旅行の写真…
中尾温泉は越中常願寺河口から鎌倉へつながる「鎌倉街道」の途中にある温泉。ここで泊をとり、翌日は焼岳(中尾峠。ただし中尾側では科乃峠と呼んでいた。)目指して登る。峠を下りると、そこは上高地となる。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240427/19/anekura-gozenn/0c/4b/j/o1080048615431191805.jpg?caw=800)
その中尾は今が桜盛り。
沢山の地蔵が集められている。
難所の峠越えを彷彿とされる。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240427/19/anekura-gozenn/4c/39/j/o0576108015431191812.jpg?caw=800)
桜の木の右に見えるのが焼岳。
ここから、その横の低くなった峠を目指す。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240427/19/anekura-gozenn/0d/21/j/o1080048615431191816.jpg?caw=800)
山々にはポツンポツンと桜の木が花ひらいている。
ホントの桜の景色とはこうだったんだろうなぁと想う。
面として、線として咲き誇るのは、あくまで明治以降。
人の手により植えられたものだ。しかも、江戸末期に交配された一本の樹のクローンだ、全てのソメイヨシノは。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240427/19/anekura-gozenn/98/5f/j/o1080048615431191820.jpg?caw=800)
平湯温泉に展示されている古民家。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240427/20/anekura-gozenn/99/4a/j/o1080050915431235628.jpg?caw=800)
この「旧豊坂家」に行くたび、高校時代まで棲んでいた家を想い出す。この家のオイエとニワ(マヤ)の間に土間が配されていたのが私の家だった。ちなみに我が家は馬ではなく牛だったそうだ。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240427/20/anekura-gozenn/d9/21/j/o1080070915431235632.jpg?caw=800)
ある資料によると馬は25両。象が江戸へ来たことがあったが、あれは吉宗将軍が要望したらしい。その象は20両だったとその記事には書かれていた。馬よりも象は安く、牛はもっと安かったらしい。
この記事、面白いのは餌代などに持て余した幕府は象を農家に貸し出され、百姓はそれを見世物として金儲けしたそうです。ただ、幕府で世話をしていた時のように良い餌は与えられず、早々に死んでしまったそうです。「公」から「民」への話…確かに「民」では知恵は回るが、消耗されるだけの扱い。すぐに亡くなってしまいました。フト昨今の御時世を思い出しました。
上に記事を貼りました。是非一読されてください。
この梯子、懐かしいなぁ〜。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240427/20/anekura-gozenn/b4/f9/j/o0486108015431235637.jpg?caw=800)
呻かなくてすむだろうか………?