所沢には「いも神社」なるものがある。
なんだろうと訪ねてみる。

走りやすい夜を行くと、着くのは朝になる。
16時まで時間があるので…

行ってみると神楽殿を有する「神明社」がある。いくつも末社を併設しているところから、明治の神社統合の痕なのかなぁ〜と眺めているとさつまいもを前に祠がある。その祠が「芋神社」。飢饉を救ってくれた芋が神になっている…これが本来のこの島々の人々の神の姿なのかも…。


それはさておきその横に「多聞院」と言う寺が並んでいる。
これは神明社の別当寺じゃないだろうか。配置から明らかにそう思えてくる。

神社と寺を分けているのは、こんな石の柵。↓

そのまま、所沢図書館に行って調べてみる。
所沢史には、このように書かれていた。

(前略)当時調査された所沢地域の神社をみれば、第5-22表(省略)のようになる。 所沢村々の、屋敷神を除く神社総数は一一〇 社余、このうち村社クラスの神社を掲げたものである。 表より所沢地域には天照大神を祭神とする神明社、誉田別尊 つまり応神天皇を祭神とする八幡社、菅原道真を祭神とする天神社、素盞鳴尊を祭神とする氷川社系の神社が多いことが判明する。

これら神社は神仏混淆調査に際し、いずれも書上帳を提出し、その末尾に調査の神社のほか新規の神社は建てないと、この神社に仏像はおかないこと、境内の竹木を伐採しないこと等を誓っている。この過程で久米村では八幡社の事務を仏眼寺が進退してきたとして、一新につき同寺の弟子が復飾し、峯本帯刀と改名し社務をとることになって いる(川町谷、菩提樹、打越、川辺、新堀村の中氷川神社も、それまでの普源院の兼務を廃止し、その本寺中藤村(東京都武蔵村山市) 真福寺の弟子禅範を復飾させ、神主山口源之進と改め神務を担当させ、亀ヶ谷村の亀ヶ谷社も普門寺の兼帯を廃止し、南秋津村神主が担当し、城村では竜蔵院と称し、本山修験で別当を務めたが、金子左京が復飾し神主を務めることになっている。牛沼村の神明社も長栄寺の別当兼務を廃止している。

中富村の神明社は境内に祈願所として多聞院があったが、このとき別建てとなった。所沢村でも諸神社のうち別当 花光院、実蔵院の神務を廃止し、荒幡村でも同様なことが行われている。所沢地域でも神仏分離は着実に行われたが、 他地方にみられるような廃仏毀釈には発展しなかったようである。


そうなんだ、所沢の廃仏毀釈は緩やかだったのだ。無いと言ってもいいくらい。

・新規の神社は建てない。

・神社に仏像は置かない。

・境内の流木を伐採しない。

旨を誓い、身上書を提出しているだけ。


富山のそれとは大違い。

富山のそれは兵隊がやってきて、逃げられないようにし、立っていることしか出来ない狭い場所に集められる。兵員により仏像・鐘など金属物を集められ鋳潰された。木造のものは燃やされた。それは苛烈で、やがて京の本山に漏れ、政府から止められることとなった。

その指示を出した林太仲大参事は罷免されることとなった。

加えて言えば、林太仲の息子(忠正)はフランスに留学していたのだが、父の失脚により帰って来れなくなった。そして彼がフランスで生計を立てたのは美術商。明治政府が放出する美術品を外国に売り捌いて生活したのだ。

良く言えば、日本の文化を外国に紹介したと理解されるが、私にすれば親子揃ってこの島々の人々の生み出したものを叩き壊すか、売り捌いた愚物だと思う。維新に感化し、西洋に魂を奪われたからこそ出来た愚行なのだ。


しばらく前、その親子を生んだ高岡市は郷土の偉人として、林忠正を崇めようとしたのだが、やがて消えていった。実態を知れば、日本文化を西洋に紹介したなど嘘八百なのに気がついたんだろう。忠正はただ、自分の暮らしのため口八丁で売ろうとしただけなのだ。


私は自分たちの文化を鋳潰し、燃やし、関係者を家畜以下に取り扱った非道を許すわけにいかない。国賊だとさえ思う。


その地に棲みながら、所沢の地で行われたそれとは、天と地の格差がある。思い込みの強い政府の在りようを、かくも冷静に受け止め、処理をするとは…。


多聞院と神明社(芋神社)の地に立ち、その大人的な対応を感じてしまうのだ。そもそも飢饉を救った芋を神として感謝できる地なのだ。


余計な一言

そもそも所沢史の文の表記…

よく「御一新(ごいっしん)」と書かれたのを見るが、ここの表記は「一新」と御が付いていない。大人的!


やはり旅はしてみるもんだなぁ~とつくづく想う。

弟の導きだ。


先日の地蔵写真は多聞院にあったもの。
何なのだろう…、今はわからないけど、知りたい。



この象は初めて出したが…

「鬼の悟り」と看板がある。

この寺、知りたいことばかり…
神仏混淆を残してくれた神社仏閣は、オモシロさが残されている。

富山で燃やされた時のセリフは…
「みっともない」なのだ。
それでオンバ様達は燃やされたのだ。