どう言えばいいのだろう…
金曜夜に立ち、今朝帰ってきた。
埼玉県所沢に行ってきた。
私はふたり兄弟の兄なのだが、弟が火曜に急逝した。
都会の葬儀はこちらとは違い、混んでいるそうだ。
順番が来るまで霊安室に入り、当日までは逢えないという。
息子(喪主)は少しでも早く順番の来る大きな式場を選んでくれた。それで一日早くなり、土曜の16時に出してもらえることとなった。
土日が式となったので、時間的に空いてしまった。先週の予定していた仕事は断ってしまったからだ。
まぁ、その分収入も減ることとなるので、全て、下道で行ってきた。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240422/20/anekura-gozenn/f8/b1/j/o0874108015429255167.jpg?caw=800)
弟は3月に65歳になる。
病院へ入り、1週間後は帰ってこない身となる。
糖尿とは、怖い病気だ。対応を誤れば色んな病気を誘い込む。最後は肺に水が溜まり…さぞ苦しかっただろう。
広い式場に閑散とするのではないかと息子は心配していたが、かつての職場の人達が集まり涙してくれた。いい仲間たちと触れ合い人生を過ごしていたんだなぁ〜と嬉しく感じた。(技術屋さんのつながりってスゴイ)
弟は富山大学を卒業後、日立に入った。理学部なのでコンピュータ関連の仕事。日立が危なくなり早期退職。たまに富山に帰った時は、コンピュータ関連のことはほとんど解決してくれた。
人より早くニフティなど電話を使った通信や今では当たり前のインターネットをしだしたのは、弟からの勧めに従っただけ。
まだ、電話料金が従量制の頃、都会から始まった定額払えば使い放題が羨ましかった。でも、インターネットなんて知ってたのは、私だけと言う時代。(おかげで?放送大学の頃は大学内の最大クラブ…「放送大学インターネットクラブ」の会長を仰せつかってしまった。)
そうそう、
デジタルカメラに接したのも弟のお古を貰ってから…。
言ってみれば、新奇なものを採り入れる…全く父と似ていた。
父は誰も乗っていない頃から「ベンリー」と言うバイクに乗り、村中に聞こえるような大きなラジオを自作していた。
化粧された顔も父と瓜二つだった。
父と母のモトヘ弟が先に行くこととなった。
実は、書こうと用意していた所沢行きの記事は別の内容を考えていた。それは改めて起こすこととしたい。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240422/20/anekura-gozenn/3c/15/j/o0486108015429255169.jpg?caw=800)
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240422/20/anekura-gozenn/de/3e/j/o0486108015429255174.jpg?caw=800)
余計な一言
富山では亡くなったあとは、自宅に帰る。
近所の人たちが三々五々やってきて、別れを告げる。
その後、一人ひとりから昔のこんな話あんな話が語られる。
家の中なのでたっぷり時間があるし、知らない話ばかり…
もしかしたら…
気を落とさないようにしてる
村人たちの気遣いなのかもしれない…。