今朝は6時から宮掃除。
集落のお宮の祭礼日なので、準備をしてきた。

昨日は先に話した通り姉倉比売神社の33年に1度の御開帳。
その報告をしたい。

姉倉比売神社は明治の廃仏毀釈を免れた。
別当寺(神宮寺)「帝龍寺」は未だに姉倉比売神社の世話をしている。

獅子舞の奉納が行われ、

僧侶による二拝二拍手一拝の作法から始まる。
祝詞に当たるのか、巻物を読み上げられる。
巻物には秘仏の由来や縁起が綴られ、それが読み上げられる。その後、左手の白いクロスの上に置かれた金色の幕が取り払われ、厨子の扉が開かれると秘仏の『虚空蔵菩薩』が姿を表すこととなる。それらは僧侶の手により執り行われる。

姉倉姫の本地は虚空蔵菩薩とされる。
天竺では虚空蔵菩薩と呼ばれ、この島々では姉倉姫と呼ばれたという解釈である。全てのものを抱え持てる「虚空」のような存在が、姿を現したのである。

右手に剣、左手に宝珠を持す。金色に輝く台座・光背の前に坐す姿そのものは真っ黒だった。火災をくぐり抜けてきたせいなのだろうか…?

右手に糸が結ばれ、その糸は拝殿前の鈴の紐に繋がれていた。鈴を鳴らすと虚空蔵菩薩の右手に伝わるのである。もちろん今日だけは…。

ちなみにこれは「前仏」と呼ばれ、御開帳以外はこの像が代わりをされている。


レプリカというところだろうか。

今日は、姉倉比売神社拝殿に鎮座されているが普段は帝龍寺本堂に逗子の中で祀られている。

そもそも姉倉姫を祀るために帝龍寺は建てられたのだ。

本地垂迹とは、人は皆…
住む場所が違えど、肌の色は違えど、言葉は違えど
つながれるし…どこの地にも似た人…似た願いを持っている
そんな想いから生まれた発想なのではないだろうか

船峅、寺家の姉倉比売神社はその神仏混淆を繋いでいる。

フト想う。仏教を受け入れたのは、ありがたい舶来の神様を拝むと受け止めたのではない。
「そうか、(身近な)あの神様は舶来ではそう呼ばれていたのか」と理解したのではないかと…

神・仏を同じように感じられたのは、他者の中に私の一分を見つめられる眼差しを持っていたのではないかと。

「虚空蔵」とは、何でも受け入れられる「虚空の母胎」。
=広大な宇宙のような無限の智恵と慈悲を持った人(存在)を感じていた姉倉姫のイメージと重なった気がするのだが…。

おまけ







しかし76世とは…
76代目ということだろう…この方は↓
北日本新聞より↑

遠景なのだが、写ってしまった…

姉倉比売神社の幟旗にも木偶(でく)がぶら下がっている。私の集落の神社にも木偶が下げられる。




余計な一言
呉羽の姉倉比売神社は街に在るせいか神仏分離、廃仏毀釈の嵐をまともに浴びてしまい、アマテラスなども祀り、神官となり現世を漕ぎ出した。初詣のテレビcmを流すなど懸命に漕ぎ続けている。
かたや船峅のそれは、「帝立寺」と名を貰ったばかりに、廃仏もできず、つまり、時代の風には乗らず裸身で泳いでいるように想う。兼業農家のように、外で働き寺を維持する…なにか私のようなのかもと…