この本、良かった。

この本も手元に置いておこうと想う。

注文した。


満州からの引き揚げ者を描いた作品。

涙する場面もあるのだが…

悲しい場面や別れのシーンではない。


ホッとするような…そんな時。


たぶん、ずっと私の身体は緊張しているのだろう。

その時、その場に私の身体は持っていかれていた。


そして、嬉しい場面になると涙が溢れてくる…。

ほっとすると身体は素直になる…。


敗戦時の満州、朝鮮で遭遇したこと、そして帰還した日本で経験したことが綴られている。


言ってみれば、日本人の姿がこの悲惨を産み出したのだ。

アメリカに渡った作者のヨーコ・カワシマ・ワトキンズ。

アメリカで英語で書かれ、都竹恵子さんが翻訳してくれた。


昔、藤原ていの「流れる星は生きている」を読んだが、今回のこれは、復讐を誘った日本人の姿も描かれている。京都に行きつき、そこで経験するイジメの数々。あの本土の人々の姿が彼の国の人々の復讐心を育てたのだろう。それを擁子の幼き身は共に体験する。


しかし、強い。

いや、彼女・彼らの生き抜く姿が強さを育んだのだろう。

もちろん、運も。


生の引き揚げを描く、一読の価値ある本だと思う。

最後にあとがき代わりの一文の一部を紹介して、おすすめとする。



日本語版刊行に寄せて

ヨーコ・カワシマ・ワトキンズ

この本がアメリカで出版されて二十年経った二〇〇六年の秋、ボストン近辺に住む在米二世韓国人たちが突如怒りを爆発させました。


本書はアメリカで中学生の教材として採用されていたのですが、その内容について、「日本人を被害者にし、長年の日帝侵略が朝鮮人民に対して被害、犠牲、苦痛を与えた歴史を正確に書いていない」「強姦についても写実的に書いており、中学生の読むのにふさわしい本ではない」といった理由をつけて、本を教材からはずす運動をあらゆる手段を使ってやり始めたのです。


さらに、「著者の父親が七三一部隊に属していた悪名高い戦犯であり、また慰安婦を満州に送った悪者である」といった事実に反することも言い始めました。そこにボストン駐在韓国領事も仲間に加わり、この動きが世界中に広まったのです。


本書は、私が十一歳のとき、母、姉と朝鮮北部の羅南を脱出したときの体験を書いた自伝的小説に過ぎません。私の意図は、個人や民族を傷つけるためのものではなく、この物語を通して戦争の真っ只中に巻き込まれたときの生活、悲しみ、苦しさを世の中に伝え、平和を願うためのものでした。


どの国でも戦争が起きると、人々は狼狽し、混乱して下劣になりがちですが、その反面、人間の良さをも引き出させることがあります。私はこの物語の中で、自分たちの身の危険をいとわずに兄の命を助けて保護してくれた朝鮮人家族の事を語っています。これは「親切さ」についての一つの例えですが、彼ら以外にも親切にしてくれた多くの朝鮮人たちがいました。


羅南から釜山、日本の福岡へと帰ってきた少女時代の経験は、戦争とは恐怖そのもので、勝負けはなく互いに「負け」という赤信号なのだということを教えてくれました。私は本書を通して地球上の全ての子供たちに伝えたいーそれだけが私の願いです。





 

 


 

 

雨の中、お陰で読めた。

図書館に返しに行ってこよーっと。