今日から種蒔きが始まる。

田植え時の苗箱を作るのだ。↓


もちろん上の写真は田植えの頃の姿で…、そうなるよう今日は、種を蒔いたのだ。今日、作れたのは軽トラック10台分。各戸の育苗器に配達し育苗器にセットしてくるためである。種を蒔いた苗箱を1台に240枚積み込むのだ。

まぁ、結論だけ言うと2,400枚作った。正直、疲れた。

ついでに言えば腰が痛い。


買えば1,000円を超えるだろうと話していた。営農では無い時の私は苗箱を農協から購入していた。種まき機も育苗器も壊れていたからだ。そうなると利益は残らない。コンバインや田植え機やトラクターが有るから続けられただけだ。トラクターが壊れた時に買うことが出来ず、人に預けることにした。そうなると年末に3袋程、預けた人から米が届くだけとなった。


それでも、経費がかからないから、幾分楽になった。

とは言え、電気が止められる事態にもなってきた。


農協は田んぼを担保に貸してくれていたのだが、電気料や水道料を農協の口座から引かれていたのだが、払えなくなったのだ。基盤整備の償還や舟倉用水の負担金が大きくのしかかっていた。


農業の衰退を「高齢化」とすぐに説明されるが、それは違うと想う。単純に合わないのだ。まず、働いた分、人件費なんて出るはずもない。米代は機械・肥料・薬剤・消耗雑貨の経費で消えてしまうのだ。


昔、農業への補助金がこんなにある。

過保護だと騒がれていた。

想っていた…その補助金って、機械を買ったり、基盤整備したり、用水を直したりした場合に補助されるものだ。それはそのまま、ヤンマーやクボタなどの農機具メーカーや建設業者にまわっていくのだ。農家を経由はするが、農家にお金は来ない。農家は補助金の追い銭を足して、借金するだけなのだ。繰り返して言うと、メーカーや土木業者への国庫投入を経由する農業者の名を使い農業補助と言ってただけなのだ。


要は、合わないのだ。

タダ働きを覚悟しなければやり続けることは出来ない。

会社で働くほどに生活が成り立つなら若い人の流入もあるだろう。私達も子どもたちに「良いよう」とは語れない。給料だけで生活したほうが良いのはよくわかっている。

なぜって?

外で働いた給料を注ぎ込んで、続けてきたからだ。そんな馬鹿な話は自分たちで終わりにしたいと想っているだけなのだ。

たぶん、江戸時代より現代の農業者は虐げられている。


高齢化で農業が廃れるのではない。現場の高齢者は「合わない」ことを知っているので、勧めないだけなのだ


腰をさすりながら、続けているのは

父や母の姿、祖父や祖母の姿を見てきたからでしかない。


先日、座主坊へ行こうとした時に撮った放棄田…

そんなに年月は経ってない。
近年に捨てられたものだろう。

最初にこの田を起こした苦労を棄てられないから…。


苗箱作りを自分たちでやっている。

重労働ではあるのだが、やらないと続けられる期間はもっと短くなるからだ。


ただ、身体を使ってする仕事は、心に良い。

川勝知事らには、わからないだろうなぁ〜。