今日は、立山町の座主坊へ行こうとした。
座主坊は、地名辞典などでは「ざしゅぼう」とふりがなが付られているが、地元では「ざすんぼう」と呼ぶ人が多い。そもそも、そこ出身の人がそう呼んでいた。
かつて話した「瞽女の記憶」の千代が生まれた場所だ。
ただ、栃津から行こうとした道路(県道378)は途中崩壊していて、挫折することとなった。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240331/00/anekura-gozenn/d8/43/j/o0893108015419456912.jpg?caw=800)
ちなみに町史はたぶん間違えているのだろう…
「真宗の舎利信仰(蒲池勢至)」より
弘長二年(一二六二) 十一月二十八日午の時、親鸞は「押小路南万里小路東」で往生、そして、東山の延仁寺で荼毘に付され拾骨された。高田専修寺蔵の『教行信証』識語には、二十九日午時に遠江国池田住僧である専信と下国高田住僧である顕智が親鸞の「御舎利蔵畢」とある。 親鸞の遺骨は、単なる骨ではなく「御舎利」として拾骨されたのである。その後、舎利としての親鸞遺骨は鳥辺野の北大谷に築かれた墓所の石塔下に納められ、さらに文 永九年(一二七二)に改葬されて廟堂に移された。 一方、遺骨の一部は関東門弟に分けられて、 高田専修寺の親鸞御遺骨や浄興寺 (新潟県上越市)の「親鸞御頂骨」として伝承されてきた。このことについては、かつて論じたことがあるので参照していただきたい。
文化時報2022年5月20日号の掲載記事です。
浄土真宗の宗祖親鸞聖人と第8代蓮如上人の遺骨を有する真宗大谷派慧光寺(近松暢昭住職、大阪市平野区)は11日、浄土真宗本願寺派顕証寺(近松真定住職、大阪府八尾市)に、親鸞聖人と蓮如上人の遺骨を分骨した。東西本願寺の分派以降、両派寺院間での分骨は史上初めてという。「御坊」と呼ばれる東西の名門寺院同士が、恩讐を越えて遺骨を護持し教えを伝えることで、来年両本山で営まれる「親鸞聖人御誕生850年・立教開宗800年慶讃法要」の円成を目指す。(編集委員 泉英明)
諦めて帰る途中に出会ったのだが…
なかなか、おおそれたことが、静かに静かに佇んでいる…。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240331/00/anekura-gozenn/d4/01/j/o0486108015419456926.jpg?caw=800)
ホントは「布倉山」が正式なのだが…。
そう、姉倉姫と伊須流岐比古との戦いの際、姉倉姫を加勢したのはこの山の麓に住む布倉姫なのだ。
おまけ
最初に揚げた地図の
🔵はたまに行く吉峰温泉の場所。
水色◯は岩峅寺の雄山神社の場所。
オレンジ◯は芦峅寺の雄山神社の場所。