今日図書館で「富山の絵地図」をパラパラと見ていたら…
こんな図があった。
今は星空を見上げても、あれはカシオペア座、オリオン座だと星座を見つけることができる。でも、それって西洋の物語…主にギリシャ神話を元に描かれている。昔のこの島人はどう見ていたんだろう?といつも疑問に思っていた。

そこへ飛び込んで来たのがこれ↓
天文星象図」。

この図は石黒信由が書いたもの。石黒信由とは船峅台地の開墾及び船峅用水の設計を担当した人だ。この人が居たから、私は今、ここに居れる。

越中は算学(和算)が盛んだった。越中、能登、加賀、越前、飛騨の人々が算学を研いていた。この↓は関流高木門人の番付表だ。富山の人が多いのは当たり前だが、能登(能州)の人が目立つ。能登と富山はやはり繋がりが深い…。ちなみに関流とは、関孝和の和算を学ぶ学派…日本の数学者達と言えよう。

話を戻す。
北極星だとか、北斗星、牽牛星だとか…、少しは日本流星空の読み方が微かに残っている…。星は点なので、それをどう繋いで纏まりとするか……ホントは世界観を無意識に形づくっている。もっとも多くは中国由来の区分けだろう。道教の考えなどが濃いのかもしれない。でもそれは漢字と不可分で一体とした纏まりがあっただろう…。今は星空は西洋で、文字は漢字で、思考は大和言葉でととりとめがないのかもしれない。(言葉を替えれば、どこかオドオドしてると言うか…)

よく見ると、北極星の周りにはこんなに沢山の星が描かれている。夜空の向こうは、昨今、明るくなり星自体見えない(消えてしまった)時代となっているのかも…。

天文星象図を描いた一人、渋川春海が江戸時代に整理した繋がりを置いてみる。さっぱり解らないがこんなことを想像しながら、江戸時代までの人は空を眺めていたんだ。

ちなみに2枚目に揚げた天文星象図はキトラ古墳に描かれていたもの。ただ、横道・赤道の線が逆になっていたという。しっかり自分のものとはなっていない…と言うか、その頃に入ってきたものだろう。逆に言うとその頃から明治になる前までの世界の見え方と言うか。


おまけ
この図は、安永乙未の年(1775)に描かれた日本地図の能登部分。今の地図と比べてみたくなります。

江戸中期に日本人が描いた日本の姿です。
上の図はこの↓地図の切り抜きです。

伊能忠敬程ではないにしろ、よく掴んでいますよね。
緯度経度が記されていますが、今と同じです。
漢数字ですが…
しっかり、西洋の知見を採り込んでいます。