図書館で借りた「黒部奇譚ー伝説の地を紐解く」を見ていたら、こんな地図があった。高橋晴美さんが調査し地図上に落とされたものだ(1982)。↓

先の本を取り纏めた黒部市は円で囲む等加工されたのだが、そのおかげで濃密な地域が…、関東北部や伊勢から飛騨を経由し富山の新川郡に向かうラインが浮かび上がってくる。この伝説はやがて八百比丘尼の終焉の地…福井の小浜に帰結していくのだが、多いと言われる石川では、ほとんどが能登で加賀にはない。(八百比丘尼については末尾にウィキペディアのコピーを置いたので、先に見るのも有りかも)


能登に残る「能登名跡史(1800頃)」には、八百比丘尼は越中黒部に出生したとする話を主に載せている。
黒部奇譚の執筆者は伊勢で生まれた話を飛騨街道を往来する比丘尼や修験者等の人々が伝えたのではないか、関東のそれも内陸を旅する人々が広めたのではないかとする。
やがて、海を旅する人々によりやはり良港であった福井小浜へと収斂していったのではと…。たぶん多くの船の行く先がそうであったように…。

また、黒部に残る村椿神社や伊勢の椿大神社の主祭神が旅の神、猿田彦であること…また、村椿神社は古老の伝えでは手向神社との名も伝わっていることから、いよいよ旅の神…旅する人々の伝えた流れが色濃くなっていく気がする。


八百比丘尼の姿…
玉と白椿を手にする姿が代表的な八百比丘尼である。↓

黒部まで行った八百比丘尼の話は、湊でもあった玉椿(村椿)から能登を経て、小浜へ行き着いたのだろう。そんな訳で加賀は飛び越されてしまった…。

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ウィキペディアより「八百比丘尼」概要

中山太郎、堀一郎、柳田国男らの調査によると、八百比丘尼の伝説は北海道と九州南部以南を除くほぼ全国に分布している。

柳田の研究をもとにさらに具体的に調査した高橋晴美によると、その伝説は全国28都県89区市町村121ヶ所にわたって分布しており、伝承数は166に及ぶ(石川・福井・埼玉岐阜愛知に多い)。白比丘尼(しらびくに)とも呼ばれる。800歳まで生きたが、その姿は17~18歳の様に若々しかったといわれている。地方により伝説の細かな部分は異なるが大筋では以下の通りである。

ある男が、見知らぬ男などに誘われて家に招待され供応を受ける。その日は庚申講などの講の夜が多く、場所は竜宮や島などの異界であることが多い。そこで男は偶然、人魚の肉が料理されているのを見てしまう。その後、ご馳走として人魚の肉が出されるが、男は気味悪がって食べず、土産として持ち帰るなどする。その人魚の肉を、娘または妻が知らずに食べてしまう。それ以来その女は不老長寿を得る。その後娘は村で暮らすが、夫に何度も死に別れたり、知り合いもみな死んでしまったので、出家して比丘尼となって村を出て全国をめぐり、各地に木(杉・椿・松など)を植えたりする。やがて最後は若狭にたどり着き、入定する。その場所は小浜の空印寺と伝えることが多く、齢は八百歳であったといわれる。— 八百比丘尼伝承の死生観『人文研究』第155号

 



若狭小浜の空印寺には、八百比丘尼が入定した窟が残る。


おまけ
「黒部奇譚」から八百比丘尼伝説の該当ページ