熊野神社関係の資料が少しあるので…
少し書き留めて置きたいと思います。
伊勢神宮なみだった熊野神社
鳥居の一部みつかる 500年ほど以前のもの
富山市辰尾にある熊野神社が、約500年ほど前までは伊勢神宮におとらぬ大きな神社であったことを物語る大むかしの鳥居の一部が、このほど市営住宅の工事現場から発掘された。
富山市の中心部から6キロ離れた同市辰尾地区は、いま市近郊のベッドタウンとして田畑をつぶし、どしどし住宅が建てられており、昔ここに森林につつまれた大神社があったおもかげもない。同地区にある熊野神社から300m南に離れたところでも、住宅団地として富山市が90戸の住宅建設を進めている。
ところが、このほど、この工事を請け負っている富山建設の人夫たちが排水路工事中、深さ約2m(中略)
500年ほど前まであった鳥居の一部であることがわかり、熊野神社の規模を物語る貴重な物的資料となった。
「熊野神社旧記」といういまから171年前の寛政6年4月に書かれた古文書には、鳥居は焼失したが、その一部が「宝暦年中(1758)に田地の底よりまわり五尺の鳥居の沓石を掘り出す。一つは当社に持ちきて(現在紛失してない)もう一つは割れてその地にある・・・一の鳥居は南方にあるものと推定」とはっきり書かれている。
この古文書を裏づけするかのように、こんど「割れてその地にある」という鳥居の一部が発掘されたわけだが、このように古文書と一致して発見されたのはこれが初めて。こんど発掘されたのは二の鳥居で、関係者はさらに南に寄った所に一の鳥居がまだ地下にうずもっているのではないかと見ている。
富山新聞昭和40年11月30日
【延喜式神名帳】熊野神社 越中国 婦負郡鎮座
【現社名】熊野神社
【住所】富山県富山市宮保 476 北緯36度37分38秒、東経137度13分3秒
【祭神】櫛御気野命 (合祀)天照大神 応神天皇 水罔女神
【由緒】斉明天皇4年(658)創立
享保10年(1725)7月早天に十七日の雨乞行う
寛政10年(1798)社殿改築
神社から数百m、千mも隔つた地の、深さ2mの地下から、鳥居の沓石、鳥居の下部の木柱など、神社の遺構が発見され、宮保を中心として極めて宏荘な古い大社の存在したことが裏付けられている。