昨日は、「火祭り」を集落の神明社に集まり行う祭礼だ。

うちの神社は富山市宮保にある延喜式内社ー熊野神社の神主さんにおこしいただいている。今回もお世話になった。



櫛御気野命(くしみけののみこと)とは、大国主命のこと。
熊野神社の主神。

この説明を読んでいると今の熊野川は「御手洗川」と呼ばれていたようである。かつては熊野川を舟で着て、川からまっすぐに参道を歩いたと聞く、実際発掘調査で第ニの鳥居跡が発掘されている。

さて、熊野神社の話は置いておいて、祝詞の中で「あかしこころを」という言葉があった。


あかし…?

「赤し心」ってなんだ?

思い出すと「赤ちゃん」って言うなぁ〜。


赤ん坊っていう位だから「汚れの無い心」って意味だろうか…?つまり昔の人は、汚れの無い状態を「あか」って呼んだのだろうか。

それとも灼熱の熱いこころと言うことだろうか?


帰って調べてみた。


「赤」は【はだか、あるがまま】の意を持っていて、『嘘偽りのない心』と言う事のようだ。

白川静の「字訓」によると「赤」も「明」も同根とある。どうも『あか』と言う音に漢字を時々に当てはめただけのようだ。


考えを進めると「明るい」も「あか」の音を使う。光があたり視覚が働ける状態だ。


光があたり、そのままの姿が現れる。

そんな「あか」の状態が言葉となったのだろうか。


今では🟥の色が「あか」と呼ばれる。この色がこう呼ばれるになったのは、いつから、どうしてだろう…?

赤ちゃんがこの色に近かったからだろうか…。

汚れの無い状態は血の色が透けて見える……

それとも朝焼けや夕焼けの空色からだろうか…?


「明」と「赤」が同根と言われるのも、そんな気もする。

光が生み出した世界なのだ。



祝詞っておもしろい。
昔の言葉がそのまま残って使われている。


おまけ
今日の祝詞には、能登の復興も謳われていた。
全国の神主さんたちも同様に能登の復興を祈られているのだろうか、熊野神社の神主さんだけなのだろうか…
いづれにしても能登へ心を寄せていただいている。
氏子の想いを汲み取って頂いているようで、ありがたく感じた。

追記
「真っ赤な嘘」って言葉があるが…
明々白日の元、汚れなき「完全嘘」ってことだろうか…
凄すぎる言葉だ!