前回、コウ書いた。


想う。

学校も行政も信用できない時代になっているんだと。


もう少し、この感覚に浸ってみよう。


その頃の町や学校は、手の届くものだったし、

『おら(わたし)たちの』という感覚が有った。


そもそも学校は、明治のはじめ、自分たちの稼ぎを出し合って作ったものだ。役場も近所や親戚の…どこの誰ってわかる人がやってくれていた。

役場に行って、最初に出てくる言葉が…

『あのょ、あそこ壊れてしもてのぉ〜』

『また、イノシシにやられた。みんなだ。』

『じいちゃん…しもてかれて、あと、どうしりゃいいがかのぉ』


『おおやけ』という言葉が、『おらたちの』と抱いていた頃のお話だ。それは村が63,562(天保5年1834年)あった頃の感覚が残っていたのだろう。それは今は約1,700となっている。

村は大きくなり、大きさにより市・町・村と格付けさえされている。大きな中の小さな点…そうなれば『おらたちの』が失くなっても、しょうのないことなのだろう。


結果、信用できない時代になってしまったのかもしれない。別の言い方をすれば、『おおやけ』が失くなった…


かつては公と私が入り組んだ世界…公と共に私があった時代。そもそも税は村に科せられていたのだから、そうなるのも仕方ない。


そんな時代だからこそ、『おらがくに』も身の内から湧いて出る言葉であったろう。


いつの間にか…公と言う感覚は無くなったのだろう。

強き私のものとなったのだろう。安倍時代、維新時代を振り返り、まさしくそうと見える。橋下徹の「政治家になってから言え」とは、そんなことなのだろう。

「(選挙に)勝った者のモノ」と。

つまりは、「私」なのだ。安部や橋下の中からは『公(おおやけ)』は消えていたのだ。正確に言うと「『公』という名の私」の意に変質していたというか。

人を踏みつけ強くなったモノこそ「公」を名のれると。


それが、大きくなるにつれ市・町・村と階級を定める。明治期に始められた「より大きく」の政策だ。



そして、おおやけと言う感覚がなくなるとともに、(おらが)くにの「くに」の感覚も無くなっていった。代わりに埋め込まれたのは「国」と言う感覚。観念で造られた架空の「国」。カルシウムの代わりにカドミウムを吸収させたと言ったら言い過ぎだろうが。観念で造られた「国」…。


明治期以降は身体から発する感覚ではなく、観念で造られたイメージに身体を従わせる時代となったのだ。

これって、カルト?


カルトの時代に生きるので、巨大市町の中で当たり前のように息をし続けていられるのかも…。


かくして、内発する信用は薄くなり…

教義による「公」が支配するようになった…。


ような…



 

 


余計な一言

あの「大きいことはいいことだ」の宣伝のチョコレート。

確かに面積は大きくなったけど…薄っぺらくなったよね。