若い頃、劇団3cmの仲間が結婚して名古屋に行った。

彼女は、NHKでテロップを作る仕事をしていたのだが、その彼女が「天気予報って、こんなに当たるんだ!」って、話す。


そうなのだ、富山の天気は当たりづらいのだ。

何故って、三方が山に囲まれているから。

当時、レーダーは新潟の弥彦と福井の東尋坊に置かれていた。富山は鍋の底と言うか、山がレーダーの電波を遮ってしまうのだ。つまり、よく見えないのだ。


当時、中沖知事もその違いを熟知しており、県でレーダーを設置しようとか…色々検討していた。色々試してみたが、ダメだったのだろう…諦めたようだ。


中沖さんが取り組んだのも無理はない。お店の品揃えから始まり、農業・漁業、建設工事、製造・販売数量の見込等あらゆる産業の計画には気象予報が深く下支えするのだ。


県民にとっては、当たらない状況が当たり前となっているので、そんなもんだと想っているのだが、自治省で全国をみていた中沖さんからすれば、さぞ悔しかっただろう。


三方を山で囲まれているとは、こんなことも言える。

災害時、助けが来ない。(何かあってら孤立する。)


能登地震では、半島なので救援に行けないと、多くの解説者が、声高に叫んでいた。緩慢な対応の理由(言い訳)を半島のせいにしたのだ。


実はその言い訳は、何処でも成り立つ。

富山なら土砂崩れで道が絶たれた…、と。

親不知や朝日の山が崩れれば、東からのルートは無くなる。倶利伽羅や石動の山が崩れれば、石川方面(西)からのルートは絶たれる。

猪谷や神岡の山々、五箇山・白川の山々が崩れれば、南からのルートも途絶える。港は、神戸の時も、今回の能登の時もそうであるようにやられやすい。コンクリート製なので、パカパカと割れてしまうのだ。


陸路、海路が閉ざされてしまうのは、富山も能登も同じこと。加えて全国よく見ると、そんな場所がほとんどだ。


高等学校で航空学校があるのは、山梨と能登って、知ってた?能登の「日本航空学園石川」が今年春、選抜に選ばれた。山梨もよく出てくるよね。



孤立してしまう地域の人々は、無意識の内に空との結びつきを、誘致しているかのようである。(北海道が今年4月に開校するんだ!)


地震などで孤立した場合、空とつながることは重要である。陸路や海路の復旧の間、ボーッとしているわけにはいかない。(能登はそうだったけど…)

だから、空港を確保しておきたいのだ、ヘリポートも沢山用意しておきたいのだ。(自治体空港って、短時間の交通網を確保したいのもあるけど、イザという時のため空路を確保するってのもある。その維持管理経費を民間の力で安価に済ませるというか…)


かつて空港に居た時、県庁の人が話していた。新幹線が出来たら「空港は要らなくなるね!」「無駄だよ。」って、とも。

私は、「あんたがムダだよ!」って想った。


この人の頭の中は、平常時のことしかないようだ。その中で無駄を省いていけば、効率的になると…。


震災直後に神戸に入った私にとっては、(お役人さんって)夢の中に生きてる人だなぁ〜と想う。


白川郷の帰雲城を呑み込んだ跡津川断層由来の地震が起これば、南側から、及び東側からのルートは無くなるだろう。西からのルートも珠洲と氷見程の距離以内にある。加えて、海岸沿いの平地は、ほとんど堆積地帯。港や海沿いの道もやられると言うことだ。


『半島だったから難しかった』という人は、今度は『三方山に囲まれてたから』と言うだろう。要は言い訳から入る人たちなのだ。山梨や長野がそうであるように、全国ほとんどがそうだ。(半島って三方が海の意)

『救ける気は無かった』と言ってくれた方が、正直だ。


この島の上に棲んでいる以上、天災は当たり前、様々なことが起こる。これは対人の上でもそうなのだ。様々な人=多様な人々と共に暮らす…それが当たり前だった。江戸期までは『マレビト』達との交流から、様々な知識や物を得ていた。


天照の子孫だとか…単純な歴史を頭に描く人々は、ひとつのお話に収斂し、多様性を排除しようとする。それは、先程の県庁のお役人さんと同じに、私には見える。


余計な一言

富山県人の『独立性』って、無意識の内に『何かあっても』を知っているのかも…。



富山全図。山に囲まれ…というか、
山で国境(くにざかい)を定めている…↓


跡津川断層とは↓

論文では1858年の地震を採り上げていますが、1586年にも記録があり、「天正大地震」と呼ばれています。なお、歴史的に古く断層は特定出ていませんが、周囲…例えば牛首断層辺りかもとの説も…。