今日は立山町の町の運営する温泉へ来た。

人が多く、洗い場も空きを待つような感じ…。

湯も前回より汚れが目立つ。

前回はスキスキだったのに…

ぬるめだが、ヌルヌル感のあるアルカリ泉。ここから800m程離れた山から引き湯している。


湯船に浸っていると、松本人志が頭に浮かんできた。

こんなところで…と思ったが、それ程、この件は人々の奥深くの何かにつながっているのだろう。


多くの識者が言うように、松本は自分の「ハラスメント力」を確かめ続けていたのだろう。まことに憐れなものである。


自分の存在の意味を…、自分の影響力を…、

「人のコントロール」で確かめ続けていた。

「(自然に)我が意に沿う」風景を眺めていたのである。


ふりかえると

彼のような在りようは、全国の至るところに在る。

学校の教室、職場、果ては中央政府にまで…。

吉本とは、その凝縮型だったのかも、なるほど「人気者」が集まった組織体である。


近年の政府…河野太郎、安倍晋三、岸田文雄、小泉純一郎…

考えてみると皆「おともだち」関係で政(まつりごと)が運ばれている。これって、スクールカースト構造…、お局様職場…の如くである。

カーストトップの周辺…「おともだち」の中で、やりたいことが決められる。そのための「かつあげ」を「おともだち」に属さない底辺に要求される。

それは世に多く見られ、誰の心にもある近景でもある。


自民党が腐っているとは、昨今の施策を見て口の悪い人々の言葉であるが、世襲を祀り上げてしまう心性なのかもしれない。先の人々は、世襲臭?=腐りの匂いを嗅ぐのだ。自民党という集団から。


カーストトップの者達も「有力者」臭を嗅ぎ分けられ、祀りあげられるモノ(SS)である(※1)。小沢一敬は嗅ぎ分け、それに群がる者達…、つまり「カポー」と見られ、真っ先に消された…。


カポーとは「夜と霧」の中でフランクルが使った蔑称(収容所内で使われていた言葉)。他にゾンダーコマンドという語もある。後に記録者達が使った言葉だ。いずれもアウシュビッツなどでSS親衛隊の手下となり厚遇を得たユダヤ人である。


カポーやゾンダーコマンドからすれば、同胞は処理対象でしかなく、小沢にとってもトップへの貢物でしかなかった。

逆に、ハラスメント対象の自分は、捧げ物でハラスメント対象から逃げ延びたのである。まさしくカポーである。


最初に「憐れ」な者であると言った。

彼が選んだ笑いの道は、人々の笑顔ではなく、「笑う」行為そのものだったかも。「くすぐり」でも同じ効果を生み出す、それ。笑いや相手はもはや「物」である。笑いを引っ張り出すために、なんでもする。松本は「物」を笑かす道を歩んでしまったのかも。


「我、それ」の関係は、ハラスメントへの道なのだ。



余計な一言

先程あげつらった名の筆頭に河野太郎を書いてしまったが、岸田文雄も同じで、その父や祖父は一廉の政治家だった。だから少なからず期待してしまった。しかし、カポーでしかなかった。岸、中曽根から続き、安倍晋三間で続くSSの流れにただ、尻尾を振るだけだった。


松本にとっては、これと同じ。


数でしかなかった。(※2)しかもそれは、自然にそうなること(向こうから慕ってくる)幻影の中にいた。それは自分の価値、意味だったのだ。その幻影をもたらしてくれるカポーこそ良き仲間なのだ。



(※1)もしかして、横山やすしをコケ下ろす。その姿からか…。時の大きなモノに対する反抗とも映るが、自分を批判した相手への恨みともとれる。私には恨みだと…。


(※2)数ばかりでなく、ハードル(困難性)を高めるため職業に制約かけたり、初回のみとした。つまり、性欲ではなく、それとは違うもの…ハラスメント欲だったのだと思う。

俺はすごいんだ、人から愛されてるのだと。