いつか能登の千枚田は「どうなっただろう?」と書いたことがあったが、テレビ金沢さんが映像記録として撮影に出向いてくれた。

ありがたい。
気にしてくれる人は、いてくれた。

概ね、大きな地すべりであの景色が崩壊してしまうことはなかった。

ただ、細かく見ると
地割れや亀裂が走っている。
でも、修復可能と僕は見た。





さらに、驚いたのは、
イルミネーションがほとんど、生きていた。





一つ一つのランプは太陽光で発電し蓄電している。
夜の風景は相変わらずだ。

この灯りは、「能登の灯り」かもしれない。

かつての縄文の頃の能登は、こうやって自立型で営まれていた。清水の湧く近くに、自給自足の集落が…
だから、四千年もの定住遺跡があるのだ。

このテレビクルー…。
夜まで待って、この灯火(ともしび)を撮影している。
このクルーに拍手を贈りたい。
もちろん、能登の灯火にも。
 



余計な一言
私の高校は八尾高校だった。山を削られて造られた学校で、グランドは2段低い所にあった。校舎敷地とグランド敷地をつなぐ段差は小刻みに切られ、ゆったりした勾配だった。
勾配に面積はとられ、その分グランドは小さくなる。そのグラウンドは300mの陸上用トラックと野球の二塁ベースはすごく近い。中距離の私はいつも打球に当たるのではないかと…

しかし、そのスロープは糸をピンと斜めに張りそれを緩めると出来るカーブ(数学のなんとかの法則)に従って作られたのだと言う。そのスロープは地震には崩れないと言う…。
きっとWAHAHA本舗の柴田理恵さんもあのスロープ眺めていたはずだ。私の2つ下の学年だったから。
平成になる頃、グランドを広くしたいとスロープ部分を削り、コンクリの擁壁型にした。

能登の千枚田のスロープは、昔の八尾高校のグランドに似ていた。(八尾高校のはもう少し勾配は弱いかな…)で、そのなんとかの法則やらの効果を見たかったのだ。
擁壁型だと、一段上のテニスコートも支えられなくてグランドに一緒に崩れてくるのにと思う。
でも、それが現代の考え方なんだよなぁ~。