能登地震における私の初動案は、小松空港、・富山空港を基地として、輪島・珠洲等へのヘリによる人員・機材・物資の輸送を考えていた。これは過去の記事に描いていたと思うが、9年空港で働いた者のイメージである。
しかしながら、夕べ、さらに発展した考えを聞いた。
世の中、広い!
話されていたのは、アメリカで危機対応や地政学を学んできた元朝日新聞の烏賀陽弘道さん。
彼は、「いずも」「かが」等の自衛隊が保有するヘリ空母を出すべきだったと述べる。能登沖に停船させ、そこからヘリを使ってのピストン輸送が可能だと。
東北での震災時、アメリカは直ちにロナルド・レーガン(空母)を派遣し、そこからの空輸体制を作った。それが「トモダチ作戦」だったと。
アメリカなら、真っ先に軍が出動して、救助及び道路の復旧を行うという。(道路の復旧を軍が担当するのは他のサイトでも聞いた。)
地震があったのは16時10分、日没はその1時間後なので急がなければならないという。日没後は、出来る範囲の救出と現地に投入した隊員による被災状況の把握(ヒアリング等)を行い、夜明けとともに最大限の救出活動を図れるよう、情報の整理や立案を夜の間に図るべきだったと。
軍事知識のある人は違うなぁと想った。
自衛隊は1万人の投入が可能との計画を立案したが、政府には見向きされなかった。7日の『出初式』を優先したのだ。
その段階で、能登は見捨てられ、小泉政権以降最優先されてきた「おともだち関係」が優先された。
自衛隊員はさぞ、悔しかっただろう。
力を持つ人々こそ、勝手なことは出来ない。
自重するのが身についている。
アホな主人に仕える実感を味わったことだろう。
なお、烏賀陽氏は対応の遅れを、体感しているかどうかだったのではないかと言う。東北地震後の東京と大阪の反応の違いは揺れを実感したかどうかだと言う。今回、知事・副知事とも東京にいて、揺れを実感していない。スイッチは入らなかっただろうと。それほど、体感・実感は大切だと。だから現地に行かねば、スイッチの働きようがないと。
烏賀陽氏の言葉は乱暴に感じるかもしれないが、彼の経験してきたことから、くみ取るモノは沢山ある。
72時間のうちに何ができるか、そのことに集中できていたらなぁ~と思う。その間、私達は「来るな」の言葉に、脳は停止してしまったように思う。
多数の人をあの寒さの中に放ったらかし、見殺しにした。
烏賀陽氏の動画は2時間を超え、長い。
言葉もちょっと乱暴かも。
だから、無理して…とは想うが、
時間が許せば聞いてみてほしい。