私の家の車はすべてダイハツ。
まぁ、地元の販売店さんがダイハツをメインにされてたから、そうなってしまうのも仕方がない。
昨年はダイハツの不正が明らかとなり、現在、全車製造中止の状態となっている。どうなるのやら。
営農の中には車屋さんに勤めている人もいて、彼によれば車自体には問題ないとのことだった。他社も似たりよったりだと。外車と比べるとよく出来た、いい車だと言ってた。
内部通報が元だから、相当、風通し悪かった、だから外への通報って形で浮かんだんだろうなぁ~って。
そうかもなぁ~と思う。実際に作っているのが季節工ばかりになっていると、現場での気付きもきっと黙っているし、社員との奴隷関係の中ではどうしょうもないだろう。今まで見てきた常勤と非常勤の一緒に働く職場はたいていそうなっている。一体感は派遣制度とともにわが国から消えてしまった。つまり、風通しはなく、鬱憤ばかりが下に溜まる…。
現場での善処の極限が…不正だったのだ。
ダイハツが潰れた所で、それは仕方のないことのように思う。中曽根康弘が舵を切った先が、いよいよ結実してきたということ。
職場に分断を入れ、まとまりを失くし、組合潰し。
うるさい者を失くした結果なのだ(言い換えれば「声」)。
現場での気付きや発見は、そのまま捨てられ、逆に鬱憤ばかりが溜まっていく。つまり風が流れないのだ。鬱憤を発しそうなら新しい者と取り替える。
悲しいのは、ダイハツはポロッと落ちた石のようなもの。前回見たように、空港の管制も同様だ。この石の積み上がった堰堤は一気に崩れだす。
業務は増やされ、職員は減らされていく。ダイハツも管制塔も同じ傾向だ。これは全国のほとんどの組織がそうだろう。つまり日本の産業界実態なのだ。
さらに言えば、企業献金が産んだこの国の形なのだ。
この「人を減らし、業務量を増やす」ことを、我が国の経済界は『生産性』と名前をつけ、ここ数十年続けてきた。
その結果は、そのリーダー達を選んでしまった市民だけがその重荷を担っていくことになるのだろう。まずは、高齢者と非正規が潰れ始めてはいるのだが…。
余計な一言。
お役人って、素人の集合体なんだよね。
2〜3年で転勤してるでしょう。
ようやくわかった頃に新しい職場に変わる。
だから、常に素人が行政を担い続ける。
これって、使う方からするととても便利。
意見を言わない(言う能力・知見がない)。
治世者の言うことを聞く。
能登地震への対応が悪いのは、そんなコトだ。
だから素人が素人は来ないでという。
自分の素人のまま管理できるように。