第6話が終わったと言うのに5話の話を書こうとしている。締切に間に合わなかった感じがする…。
高校時代、私はグランドにいるか、図書館か、教室にいた。たいていは独りだ。だから、紅葉がよくわからない…。
独りのほうが楽だったが、皆と一緒にすごす紅葉もまた一人といえば一人だった。
…生まれてから1度も孤独を感じることは無かった。
…周りには沢山の友達が居て、みんなで仲が良かった。
…誰とでも仲良くなれて、誰からも好かれて、明るく優しい、そう言われた。
…みんなから必要とされた。
…友達が居なくていつも一人でいる奴を見つけては、一緒に居てあげた。
…イジメをしている奴より、イジメを見て見ぬふりをする奴より、誰より一番最低なのは俺だった。
オープニングでは、子供、高校時代のシーンとともに上のような紅葉のモノローグが流れる。
本体では、一人でいた奴……篠宮との再会を主題に組み立てられている。そこでわからなくなってしまうのだ。
なぜ、紅葉は、篠宮にあんなこと言ったのだろう?
エンディングのゆくえの言葉を借りれば、
「優しいとみた人にとっては、優しいで良いんだよ。
キレイなお花だなーってうっとりしている人にさ、それトゲありますよ。ドクありますよってわざわざ言わなくてもいいの、その人がどう見るかでいいんだよ。」
そうなのだ、紅葉は篠宮の想いを自分の想いで塗りつぶしたのだ。(篠宮が黄色の絵具で大きな木とブランコの作品を塗りつぶす…シーンが象徴的。その絵の原画は子どもの時、2人でブランコに座って描いた絵だ。)
二人の人が向き合った時、純粋な自分の想いを伝えたのだ。しかし、それが出来ない…してはいけない関係を描いた回だったのだ。
今回のシーンの作られ方で、なんとはなしに背景にあるのは「マウント」。子供の頃には紅葉が、大人になっては篠宮がマウント…上の立場にいる。そんな中で純粋な想いは通じない…。
廊下での篠宮と黒崎との関係、そして今の4人の関係がマウントのない関係と言えるだろう。だから、純粋な想いを語り得た。
かつての紅葉はマウントされることで、つながりを得て生きてきたのだ。それで〈明るく優しい、みんなから必要とされる〉立場を得ていた。
篠宮との再会の中で紅葉は、純粋な想いを語った。紅葉は、篠宮との間にマウントの無い関係を求めたのだろう。ただ、それは篠宮からの「返し」でしかなかった。そのままマウント返しだったのだ。
自分の生き方、身の取り方を直視したからこそ、…
イジメをしている奴より、
イジメを見て見ぬふりをする奴より、
誰より一番最低なのは俺だった。
との言葉が出てくる。
そんな、紅葉が、いとおしかった。
とても、いとおしかった。
おまけ