桜に魅力されてしまうのは、『包まれ感』なのかも。

サクラの写真を見ていながら、そう感じた。
立体的に桜に包まれる写真が多いのだ。




もちろん、一本桜を写したものも多い。

ただ、大樹が多く、それは近づくとその大樹に包まれる。また、下がり枝を美しいとの声も聞かれ、見上げる桜と言うより〈こんもり〉の中に身を置きたい想いを感じるのである。



さて、桜の原産地はネパールのようだ。
遺伝子を調べ、判ったらしい。


しかも、ネパールでは、秋に咲く花だと言う。

しかも、


雪の降らない地から、雪の降る地へ来て、葉を落とし冬眠することを覚えたという。その結果、春に花を咲かせるようになったのだ。

末尾に出典サイトへのリンクを置いておくが、このサイトは桜を中心に置きすぎかも。江戸までの花見は桜だけでなく、梅や椿や杜若(かきつばた)、菖蒲(あやめ)…等、多くの花を楽しんでいた。

それは、花ばかりでなく、月も日毎に名前を付けていた、それって楽しんでいたからなのと違うんかなぁ~。



いずれにしても、現代はあまりにも「桜オンリーになっているのではないの?」って気はする。

桜に特化した『うかれ』も、どこか気になってしまう。在る意味プランテーション国家(文化)なのではないかと。

多分、僕の違和感は自然の桜ではなく、挿し木で増やす=クローンだからなのかもしれない。
どこか、こんな↓感じがしてしまうのだ。



天然林ではなく植林(人工林)と言うか・・



このサイト↓(ネパール説)



プランテーション文化・・・(僕の勝手な造語)
植民地にされた国家(文化)は多様栽培からが単一栽培へと、移っていった。他者(植民元国)の求めに応じていったためである。主食栽培を止め、ゴムやパイナップル等売れる商品に特化した。そして、食自体を他者に依存するしかない、搾取され言いなりになるだけの国へと。