手前の思想を振り返ったところに、ユーチューブを聞いていると立川志の輔の「唐茄子屋政談」が流れた。

立川志の輔は好きだ。
今、最もチケットが手には入らないと言われるのは、笑点の新メンバーとなった春風亭一之輔だそうだが、少し前は立川志の輔だと言われていた。

今回の噺も人情噺で内容的には涙を誘うものだ。ところが志の輔は、笑わせる。笑わせる中で感動させる。

話は、吾妻橋から隅田川へ身を投げようとする男を通行人の男が止める。その男=徳(とく)は親から勘当され行き宛の無い若旦那。
死を止められた徳はその男から「唐茄子」の行商をあてがわれる。通行人の男は徳の叔父で、なんとか一人前の真人間に徳を立ち直らせようとする。

真人間と言ったが、人が、自分の力で生きるとはなんなのかを考えさせてくれる話で、自分の力で生きられる人を真人間と言ってしまった。

この叔父にしろ、唐茄子のほとんどを売ってくれた街の男も、困ってる人がいたら自分のことを勘定せずに力を尽くしてしまう。

それに徳も、困っている親子を見ると後先も考えず今日の稼ぎを全て渡してしまう。やはり自分のことは勘定しない。

そんなことが当たり前の世界が落語にはある。これが江戸の《世間》なのだろうか。

自分の損得を考えなくても、(だからなのだろうか)生き方さえ良ければ、世間はなんとか助けてくれる。(真人間でなければ「死ね」とさえ言う。)

損得を考えるのは〈強欲〉となり、今回は大家さんが1人悪役背負ってる。



 44分あまりの噺だが、時間があったら聞いてみる価値はあると思います。どうぞ↓


ホントは聞いてみて欲しいのだが45分下さいってのもなんなので・・・

だいたいのあらすじです。↓


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この記事です。↓



おまけ「唐茄子」とは

年配の人がかぼちゃのことを「唐茄子(とうなす)」と呼んでいることがあります。主に関東地方に多いようですが、かぼちゃと唐茄子は同じもの。
関西ではかぼちゃを「ナンキン」と呼ぶことも多く、他にも山形県地方では「ロスン」、宮崎県では「ナンバン」「チョウセン」、高知県の一部では「トウガン」など、地方によってかぼちゃには呼称が多くあるようです。
もともとかぼちゃは海外からやってきた食材。カンボジアが訛って「かぼちゃ」となったという説もあり、「南京」「唐茄子」「南蛮」「唐瓜」なども全て海外からきた用語です。こんなにたくさん名前がある野菜も珍しいですよね。

なんのことはない『かぼちゃ』のことのようです。私たちの所では『なんかん』と呼んでいました。関西の〈なんきん〉が訛って、〈なんかん〉になったのかも。

上の引用はこのサイトから↓