内田樹の「寝ながら学べる構造主義」
の第5章は 「四銃士」活躍すその3―
レヴィ=ストロースと終わりなき贈与となる。

そこからの抜粋
レヴィ=ストロースの構造人類学上の知見は、私たちを「人間とは何か」という根本的な問いへと差し向けます。(中略)社会集団ごとに「感 情」や「価値観」は驚くほど多様であるが、それらが社会の中で機能している仕方はただ一つだ、ということです。人間が他者と共生してゆくためには、時代と場所を問わず、あらゆる集団に妥当するルールがあります。それは「人間社会は同じ状態にあり続けることができない」と「私たちが欲するものは、まず他者に与えなければならない」という二つのルールです。
 これはよく考えると不思議なルールです。私たちは人間の本性は同一の状態にとどまることだと思っていますし、ものを手に入れるいちばん合理的な方法は自分で独占して、誰にも与えないことだと思っています。しかし、人間社会はそういう静止的、利己的な生き方を許容しません。仲間たちと共同的に生きてゆきたいと望むなら、このルールを守らなければなりません。それがこれまで存在してきたすべての社会集団に共通する暗黙のルールなのです。このルールを守らなかった集団はおそらく「歴史」が書かれるよりはるか以前に滅亡してしまったのです。
 それにしても、いったいどうやって私たちの祖先は、おそらくは無意識のうちに、この暗黙のルールに則って親族制度や言語や神話を構築してゆくことができたのでしょう。私にはうまく想像ができません。しかし、事実はそうなのです。ですから、もし「人間」の定義があるとしたら、それはこのルールを受け容れたものと言う他ないでしょう。
人間は生まれたときから「人間である」のではなく、 ある社会的規範を受け容れることで「人間になる」というレヴィ=ストロースの考え方は、たしかにフーコーに通じる「脱人間主「義」の徴候を示しています。 しかし、 レヴィ=ストロースの脱人間主義は決して構造主義についての通俗的な批判が言うような、人間の尊厳や人間性の美しさを否定した思想ではないと私は思います。「隣人愛」や「自己犠牲」といった行動が人間性の「余剰」ではなくて、人間性 の「起源」であることを見抜いたレヴィ=ストロースの洞見をどうして反―人間主義と呼ぶこ とができるでしょう。(太字、下線は筆者)

今やグローバリズムが社会の基盤となった考えであろう。彼らは言う、「自然界を見たまえ『弱肉強食』が当たり前じゃないか。これこそが最も自然に即した考えなのだ」と。

これに逆らいレヴィ=ストロースは言う
人間社会は同じ状態にあり続けることができない」 
②「私たちが欲するものは、まず他者に与えなければならない

この2つのルールを守ったので、『人間(他者と共生できる存在)』が存在しているのだと。そして、それまでの美的な言葉で「人間性の尊厳」や「人間性の美しさ」を述べた哲学を無視し、そして、脱人間主義だと揶揄された。

レヴィ=ストロースはそれまでの内側から発する主観的な思考を捨て、外側からその構造自体を比較検討した。その結果、先の2つのルールに帰着したのだった。

身近なことで思い起こそう。
私達が子供の頃、食事は神棚と仏壇に添えてから戴いた。『直会(なおらい)』と言うのも、神に供えたものを神儀が終わって下がり戴いたことから始まった。


まず一旦、他者にあげたのだ。
昔話を見ていても、自身の食い扶持も忘れて客人には驚くほどに饗応する。

昔の生き方の中には、確かに②「私たちが欲するものは、まず他者に与えなければならない」の上に生きていた気がする。

村上世彰の『なぜ稼ぐのが悪いのか』は、まさしく、「自分の欲を追求するのが正しい、それがなぜ悪い!」と聞こえてくる。


今とは、そんな思考を前提にしている社会なのだ。
だから、「このルール を守らなかった集団」として、まっしぐらに滅亡に向かっている。共に生きることを辞めてしまったら、ただの『か弱い生き物』に真っ逆様だ。

私達ホモサピエンスと同時代にネアンデルタール人が居たという。彼らはホモサピエンスより大きく、力も強く、さらに頭も良かったという。「力」のある方が滅んだ。彼らは強く、頭が良い分、「共に生きる」ことは疎かったのだと言う。今と言う時代ネアンデルタール人的な生き方に成ったということなんだろう。


だから、福祉は無駄なことと見え、武力が重要に見えてくる。先に書いた「高齢者に負担を」の記事は、厄介者は厄介者の中で始末してくれの発露に感じる。「儲け」や「戦い(強さ)」からすれば、子供も老人も厄介者なのだ。

レヴィ=ストロースの構造主義を内田樹さんを通して学んだが、なかなか、大切な視点だと思う。

ホモサピエンスである私達人間。
何故、人間は今このように在るのか。
生き残ってきたのか。

我が食い扶持を差し置いても訪問者をもてなしていた私たちの先祖の姿に、困った人がいたら放っておけない姿に、その答えが有るとレヴィ=ストロースは言おうとしたと思う。