暑いですねぇ~~。



母を熱中症で失っているので、こんな時には無理せず、じ~っとしてるのが一番です。

ヤバいと想う頃には自分では、もう動けません。

スマホもかけれません。


閑だといろんなこと調べてしまいます。


江戸時代、寺子屋数は少なく見ても15,000以上、20,000校以上あったとするサイトもありました。

人口が3,000万人程の日本でです。

一校あたり10人~100人だったそうです。


小学校はどうでしょう。

1957年には27,000校在ったそうです。



今は、人口が今の1/4程の江戸時代の頃の校数に戻っているということでしょうか。

なんでこんなこと調べてみようかと想ったのは、〈適正規模〉〈適正規模〉と学校統合の際に富山市は繰り返すからです。

なんだ?適正規模って。

私の住む旧船峅には2つの小学校がありました。寺家小学校(M11年設立)、二松小学校(M5年設立)です。
それが昭和4年に船峅小学校として統合され現在に至っています。その時も行政としての村は経費を抑えたく〈一村一校〉にするため苦心していたそうです。生徒数404名で11学級だったそうで一学級約40人程だったのでしょう。

今、船峅小学校は複式学級で2学年で1クラスを作っています。それで、統合リストに載せられています。

つまりは40人が適正規模だと暗黙里に想定されているのでしょうか。多様な部活動が行えるのが適正だと市教委は説明したこともありましたが、部活動の民間化を文科省が言い始めた昨今どういうのでしょうか。確かに欧米の児童は地域のクラブに入って活動しています。学校じゃありません。

江戸時代の寺子屋は10~100人だったと言います。100人の場合は何人の先生が見ていたのでしょうか。
一方、1クラスの生徒数は欧米では日本の半分だそうです。




船峅小学校のような小さな学校は、学年を超えた関係が生まれていました。上の子が下の子の面倒を見るような・・。だからイジメなども少ないのではなのかもです。(イジメは虐める側の病的問題でもあるので一概には言えませんが)

昔の寺子屋のような規模で、身近な、地域の人の見えるところに存在するのが、僕は良いと想うのですが。

十何キロもバスに乗り、見えない処に通う小学校。
当初、学校は地域の人たちが地域の将来のために、子供達に育って欲しくて住民は寄付(お金)をしました。

今の統合使用とするあり方、僕には不思議でなりません。まわすお金を減らしたいだけのような。

今、いくら稼げるかが評価される時代。
長い目で考えられなくなっただけのような、
それで大切な基盤への投資を惜しむのでしょう。

小泉改革以降は、間違いなく加速度的にそうあるみたいです。賃金が下がっていくとは、そうなのでしょう。国の基盤=ひとりひとりに惜しくて渡したくないのです。

肥料もなく、穫られるだけの貧弱な土地からは、何も育ちません。
いずれ日本はスギナばかりなのかな。
亡国?、地域よりお金に目が向いた人達が市長・知事やってるから・・・。
(維新の幟旗に囲まれて当選したの忘れないよ。)




人口あたりの寺子屋数。
今の四倍近くになりませんか?

僕の頭、湯立ってるかなぁ~?
エアコンとか無いので。