昨日は、本宮の紹介に赤牛の話をした。

実は佐伯有頼(慈興)の師にあたる薬勢がこの地に居たという。

薬勢は3つの堂宇を作った。
・本宮村の五智山円福寺
・原村の光明山来迎寺
・文殊寺村の報恩寺

円福寺は今は無く、光明房となったとも伝わるが、まだ、よくわからない。

来迎寺は現在3つあり、それぞれ立山と関係している。梅沢町のものはWikipediaに載っていた。


師の薬勢は有頼の輝きにかき消されているようだ。県立図書館長だった広瀬誠さんが調べられているので↓


報恩寺も既に無い。

ただ、報恩寺の本尊であった文殊菩薩が「文殊寺村」として地域の名として残ったようである。



この3つの寺は天台系の寺だったようで、川向かいの岩峅・芦峅も天台系。常願寺川は天台系の修験道のメッカだったようだ。


今、確かに残るのは光明山来迎寺だけなのだが、改宗している。改宗し時代に乗ることで命を長らえたと言うことなのだろうか?


岩峅・芦峅も仏教を捨てることによって、生き長らえた。


以前、上滝の2kmほど手前、左手の熊野川を渡るように左折すると言ったが、この道沿いに右手に進めば文殊寺村なのだ。

青丸=原
黄丸=本宮
赤丸=文殊寺村
(文字は右から左だよ。昔はこうだったんだよね。)

午後から現地に行ってみよう!