殻の話は、枠のこと・・・
自分の限界点なのだろう。
ミンデルのプロセス志向心理学なら『エッジ』と言う言葉を当てている。
中世西洋の人々のイメージだと大地から海が落ちこぼれる場所なのかもしれない。
こんな世界に住んでると窮屈だろう。
端っこに行くと、落ちてしまう。世の果てだ。
幸い?今のイメージでは、まぁるいので元に戻ってくるだけだ、行っても行っても。
とは考えているが、これも枠だったりして。
行っても行っても戻ってくるなら、それも牢獄だ。同じ所を歩いているだけというのは。
ミンデルが取り組んだのは
枠を乗り越えること=まず枠を持っていることに気づくことのようにも思える。
そのきっかけの場が、ロジャーズのエンカウンターグループだったのだろう。それは、カウンセリングの場でもある。
枠の中で小さく生きていることは、それはそれで安全。安心して居られるだろう。
でも、不思議なことに卵は育ち、雛になる。そして大空を駆け巡り、餌を捕らなければならない。それもまた、自然のことである。
そんな留まらしてはくれない世界だ。
さっきの平面世界の図に戻れば、世界の縁へ誘う世界でもある。
危険・危機に遭遇しながら、全うする。それが自然が与える道なのだろう。
私達、生ある者たちの。
さぁて、
自分にはどんな枠を持っているのだろう。
その、有限性の自覚がないと、他者を受け入れるとかは、言葉だけである。
私の知らない世界が、目の前にある。
私の今抱いているイメージは、仮説なのだ。
世の揉め事は、平面世界同士の接触なのかも。
平面世界について、こんな風に語っているブログがあった。
車の12月点検中。
アップルカーズにて。
なんとか持たせないと。
老朽化しているからこそ点検で早めに!