今日調べた範囲では、701年・702年創建の寺が6ヶ寺あった。

1 稲荷山海禅寺
  創建者 聖武天皇第七皇子仏性上人
  創建年 701年
  経緯  霊夢
  当初  華厳宗
  現在  真言宗
  本尊  釈迦如来
  その他 30番札所
2 光明山来迎寺(元、円福寺)
  創建者 国人佐伯有若
  創建年 701年
  経緯  勅願
  現在  浄土宗、1197年改名
  その他 25番札所
3 医王山東薬寺
  創建者 行基
  創建年 701年
  経緯  霊夢
  当初  不明
  現在  真言宗
  その他 七堂伽藍、28番札所
4 船峅山帝竜寺
  創建者 聖武天皇御連子(兄弟)真福上人
  創建年 702年
  経緯  勅願所
  当初  不明
  現在  真言宗
  本尊  虚空蔵菩薩(垂迹=姉倉姫)
  その他 七堂伽藍、360坊、自前の33番札所
5 北叡山各願寺
  創建者 聖武天皇第七皇子仏性上人
  創建年 702年
  経緯  不明
  当初  法相宗
  現在  天台宗
  本尊  大日如来(稲荷社)
  その他 26番札所
6 法海山常楽寺
  創建者 行基
  創建年 702年
  当初  不明
  現在  真言宗
  その他 852年、円仁により改名。七堂伽藍
      29番札所
(7)藤居山富山寺
  創建者 行基
  創建年 724年
  当初  不明
  現在  真言宗
  本尊  大己貴命(日枝神社)
  その他 29番札所

・行基(668年ー749年)の創建が3ヶ寺ある。逆に行基の建てた49院のリストには上の3ヶ寺は無かった。追慕の寺として整理されていた。

・仏性上人の創建によるものが2ヶ寺あった。
 海禅寺(701年)と各願寺(702年)だ。
 どういう意味なのだろう?

・勅願を謳っているものが2ヶ寺。
 来迎寺(701年)は佐伯有若を、帝竜寺(702年)
 は姉倉姫を祀るために建てられていた。

・創建の経緯は、勅願によるもの。霊夢によるもの。行基によるものが主だった。

今日の調べでは見つけられなかったが、当初の宗派がわからないものが多かったが、華厳宗なり法相宗と分かっていることから察するに、やはり南都六宗だったのだろう。

国の経費で創建されたものだろうが、やがて真言宗なりに代わったものと推察する。天台宗、真言宗のような修行や布教を伴う平安仏教へ改宗したものだろう。
学問だけでは生き残れなかったのかもしれない。
それは三十三霊場の一つとして名乗りを上げている寺が多かった。各願寺と帝竜寺は他寺との連携を見つけられなかったが、帝竜寺は自前で小さな霊場を持っていた。(同じ札所番号があるが連携グループの違いで、複数のグループに入ってるとこもあった。)経営努力の後と今は受け止めている。)

調べはまだ富山市中心でしかない。砺波、射水、新川郡はこれからだ。

射水には国分寺があり、もう少し時代が下る。
また、砺波郡には浄土系、禅宗系が多い。一向宗の国だったので、どうなるかだ。

余談になるが、都道府県別で富山は人口当たりの寺院数が6位には驚いた。人口当たり15ヶ寺だそうだ。
もっと驚くのは人口当たりの神社数。人口あたり21.8で3位だった。
ここまでくると、そうだなぁと思わされたのが、キリスト教教会は47位とのこと。
キリスト教は入り込めなかったみたい。

しかし、これらの数字は何を現しているのだろう?

激しい廃仏毀釈の影響で、小さな寺ばかりになったのは、頷けるし、明治後期の神社合祀(統合)令の影響が少なかったってことだろうか。


二十二日社って、22の社が一つにされた。
明治政府は、西洋の教会ように町に一つの社に統合しようとした。神社中心説がまかり通ったのだ。
同時に県に一つの護国神社も生まれてきた。↓

時々話す延喜式内神名帳とは、こんな風に書いてある。↓