『ド♯』は船の出航の合図だ。
ボー・ボーと2度長く繰り返される。

「くちびるに歌を」の中で
  障害持つ桑原アキオの口から繰り返され、
  辻エリ、柏木ユリのピアノから繰り返され
  フェリーから流される。

出航だよーの合図。
映画の中では、『前進』とナズナの母の言葉として意味を与えられる。

前へ進む、と・・・
確かになぁ。船って前にしか進めない。長崎の五島列島の、船でしか行けない舞台から、そうなるのだが・・・

後ろへ下がることの出来る『人』ならば、
ド♯にはバックも有りなのになぁとも思う。
なんなら、立ち止まる・伏せも有りなんだよね。

映画は、逃げ、立ち止まり、うずくまる中からの再度の一歩が描かれる。映像の中の世界はその全てが描かれ、「あんたもおってよかよ。」とナズナの母から言祝がれる。

様々な人が居て、様々な時(状態)がある。実はその全てが言祝がれているのではないだろうか、この映画では。

現在の世の中では「前進」(前へ進むこと)に余りにも光があてられる。「突っ込め!」と前進以外が認められないかのように。

映画と現在流れる社会、同じ「前進」なのだが、大きく違う。そこは「あんたもおってよかよ。」が認められているかどうかなのだと思う。


ド♯と題したが、映像では白い鍵盤(ドの音)が叩かれる。柏木ユリが島を出る際に聞いたフェリーの警笛を『ド♯』と呟く。
あれは、なんなのだろう?

♯は半音上げる嬰記号。


昨日は、アイガモンを使った。
水の有るところと無いところは違う。
少し水が有るとやりやすい。
そのあと、機械の入らないところを手で取ったが
何故か、頭の中はking Gnuの「自白」が鳴り続けていた。なんで?

欅の淡い緑がきれいに感じた。