昨日、『麒麟が行く』の立て膝座りについて書き込んだが、今日のツィート上では大騒ぎだった。

まずは、朝鮮人の座り方だと右の方から厳しい御指摘があり、それに対し、そうではなく正座は明治以降の話で、今正しい座り方と呼ばれるのは元々罪人の座り方だったと刺しが入った。

昨日も書いたが魏史倭人伝には、倭人は立て膝で座ると報告されている。加えて刺青をしているとも。

今、古来から日本から伝わるものと言うのは多くは明治になって始まったものが多い。特に目立つもの、力有るものはたいていそうだ。

神社での『2礼2拍手1礼』の柏手作法も明治になって決められたものだし、初詣自体も明治からの習俗。

そもそも歩き方自体、右足と右肩(左足と左足)は一緒に前に出ていた。それを『なんば歩き』と言う。
古典芸能や古武道を習うと当たり前のことなんだが、江戸時代までの日本人の歩き方だ。
足と手が逆に出る=身体を捩る歩き方は、西洋から見習ったものだ。これだ(体をよじる)と着物がハダケてしまう。

学校も今のような一斉授業は明治以降の学校によるもの。江戸までの寺子屋は年齢も違うし、やってることは個々に違う内容。

躾というのも、明治以降に西洋から採り入れたもので、古来からの躾は今とは違う意味を持っていた。

桃太郎のお話も、明治に中身が入れ替わった。
桃を食べて若返ったおじいさんとおばさんが懇ろになり生まれた子が桃太郎となった話や、宝を強奪に行った話がひっそり残っている。

上げれば切りがない。
当たり前と今考えることの多くは明治が始まりだし、静かに影でひっそりとしている中に日本人の培ってきた姿が隠れている。

要は、西洋化しようとし、その結果が今なのだ。
神道自体、「和式キリスト教」を造り神道と名付けたもののように思う。もちろん仏教が入って来た時も同様で、神仏混交とは「倭式仏教」の方便なのだろう。中国化の表れというか。

敢えて言うと、それら他者(強者)を包み受け入れてしまうところが『倭』なり『和』なのだろう。姿が本体ではない。

同じように『日本書紀』『古事記』もそう。形を金科玉条に崇められる人もいるが、書かれた言葉に隠れた中にホントが隠れているように思う。

「こうあらねば」と見える常識や正しきもの、それは実は底が浅く、今という中でそう在ると言うだけのもの。

振り回されると、知らないまに、人を傷つけ、可能性を奪うことになるので、気をつけなければ。

朝鮮人の座り方だと時代考証を攻撃したのは、どうだろう。せっかく『?』という気づきが有ったのなら、そこから調べてみれば面白いのに。
正しさを振りかざすのではなく、わからないことを保ち続けた方が、深いし、面白いのに。


今日、霰が降り一面真っ白になりました。
400m以上は雪が積もったようです。
山が白くなってました。