いつかの富士山。
今日は夫に息子を預けてお友達のお家に。
マレーシアに行く前は小さかったお友達の子供がもう大きくなっててビックリ。
カフェで読書まで楽しんで帰ってきたら、夫も息子と一緒に寝てました。
リビングには、たくさんのオモチャ、脱ぎっぱなしにお洋服。テーブルには飲みかけのミルク、食べかけの夫のごはん。
お風呂場には、脱ぎっぱなしのお洋服にタオル。
2人でいっぱい遊んで、疲れ果てたんだろうな~
泥棒がはいったみたいな散らかりっぱなしのお部屋を見たら、何だか可愛くて一人で笑ってしまった。
二人の寝顔見てたら幸せで、しばらく雑然としたお部屋を見ながらニヤニヤ



もしかしたら、こういう時、お部屋の状況にイラっとする人もいるのかもしれませんね。
私もこんな時は頭の片隅で、あぁ~片付けるの面倒だなって思います。
片付いてたら楽だったな~っと。
でも私の場合それだけです。
自分の価値基準と違ってもイラっとしません。
だって夫も息子も私ではないから。
片付けるタイミングも、やり方も全然違って当たり前。
だから私の中での理想と違ってもそうなんだなーって思うだけです。
それで、私の今のタイミングの理想通りに自分で片付ける。ただそれだけ。
そうすると、いとも簡単に自分の価値基準と一致します。自分がやるんだから笑
自分の中での理想や期待や常識と他者のそれが違っていても、違いを味わえば不思議とイラっとしたりしません。
別にイラっとしても良いんですけどね。ただ、イラっとしても何も幸せは生まれませんからね。
なんで自分の中でのイラっとボタンが押されたんだろうって思うと、自分の中での価値基準と違うということが多いです。
人は自分の中の物の見方だけで生きていますからね。自分の思うことが一番で、一番完璧なわけです。
それと他者が違うとイラっとしたりします。
そうやって、自分の中の感情を味わって、観察するともっと楽に生きられます。
ブログで何度か書いたことがありますが、私にはいつも心に留めている子育ての目標があります。
発達心理学の教授が話してくれた子育てエピソードです。
ある日、洗濯を干していて、ふっと見ると子供がキッチンに向かっていったそうです。
なんだろう~っと思い眺めていると、椅子を持ち出して冷蔵庫を開けたそうです。
ここで普通はやめさせてしまいそうですが…さすが専門家!
何をするのかが気になって観察していたそうです。
しばらくすると、子供が卵を持ってニヤリとしたそうです。あぁーこれは絶対に落とすなって思ったそうですが、それでも黙って見ていたそうです。
想像通りに卵を割ったそうです。
ぐちゃっと落ちた卵を見て嬉しそうな顔をした子供。
また新しい卵を持ってニヤリとして落としたそうです。
掃除と洗濯の大変さが頭をよぎったものの、やはり専門家。
卵1パック、100円でオモチャを買ったと思って我慢して観察したそうです。
卵を1パックすべて割った子供。
次は椅子から降りて、手で触りだしたそうです。
先生は、グッとこらえて見ていたら…なんと卵の水たまりに体をなすりつけ出したそうです。
先生曰く、落とすという感触、硬い殻から出てくる液体の不思議、白いものの中が透明と黄色という意外性、触ってみたどろっと感、全身で感じるまとわりつく感じ。色々な感覚が刺激されたはずだっということです。
しばらくして、満足したのか、思い出したのか、お母さん探してソワソワしだしたそうです。怒られるかなって顔をしたそうです。きっとやってる時はそんなこと考えてなかったんでしょうね。
先生は、これは食べ物でこういうことをするともったいないこと、もう同じことはしないこと、お掃除が必要なこと、体やお洋服を洗うのも大変なこと、新しい卵を買わなくていけないこと…色々なことを話して教えたそうです。
それ以来、同じことは二度としなかったそうです。
部屋が汚れる、お掃除が大変…こういうことを考えず、子供の五感の体験を大切にする。その行動に興味を持って面白がって観察する。やらせてから、これはいけないことだと教える。
このエピソードのように、子供の世界を尊重して子育てをすることが私の目標。
自分の中での価値基準や経験で、これはダメというのは簡単だけど、子供の興味を尊重して体で体験させるのは意外に難しい。
いつもこのエピソードを心に留めて子供と接しています。
自分の中で決めつけない。
子育てに限らず、他者と関わる時にもきっと同じだろうな~
いつか息子が卵を割ろうとする日がきたら、面白がって見られる自分でいたいなっ。
