地震から早くも1週間。
この地震から、日本中が、世界中が本当に沢山のことを学んだと思う。
そして、今もなお苦しみの中にいる方々が本当に多くて、毎日心が痛い。
けれど、被災地でもない東京で暮らす私達は、悲しみにくれてばかりではいけない。
だから、しっかりと忘れないように書いておこうと思う。
そして、そろそろみんな笑顔で暮らそうではないか。
そもそも、私がブログを書いている理由は、未来の自分に向けたものだから、しっかりと記録しておく。
まずは、この地震から学んだこと。
沢山のことを学んだ。
・人との繋がりの大切さ
・励ましあうことの安心感
・人間の弱さ
・都心の恐ろしさ
・人はみんな優しいってこと
・私達の日常は、とてつもなく絶妙なバランスの上で成り立っていて、いつでもそれが崩壊する可能性があること
・大切な家族がいて、大切な人がいて、大切な友人がいることも、奇跡に近いこと。
・私達は、みんなつながっている。世界は全部同じなんだってこと。
・エネルギーは影響しあっていること
・与えられた人生をこれからも大切にしていくこと
・今ここにあふれている幸せに感謝し続けること
そして、私は色々と考えた。
自分のこのスピリチュアルな力や人に安心感を与える能力はしっかりと惜しみなく使っていこう。
大切な人や大切なことを見失わないように、やっぱりいつも感謝しよう。
被災地のことを絶対に忘れない。復旧までに何年かかるかわからないけれど、私は決して忘れないようにしたい。
みんなが忘れてしまっても、私は忘れないようにする。
人の心が平安を取り戻すには何年も、何十年もかかるかもしれない。だから、人の心の復旧にも気を配って、貢献していこう。
日本を元気にすることに貢献しよう。
今携わっている仕事に感謝した。そして、私がいる小さな組織という箱にも。
たくさんの人がいて、たくさんの人がみんなを思いやっている箱の中にいられることは、本当にありがたいこと。
そして、世界に「日本が頑張ってるよ!!」って伝えたい。だから、『引き続き世界と繋がれる仕事』をしたい。
今、都心に住む私達が出来ること。
経済を回すこと。
明るく日常生活を続けること。
出来る限りのあらゆる援助をすること。
日本は絶対に良くなる。
だから、笑顔で日常生活に戻ろうと決めた。
地震を起こしたこの大地と宇宙に感謝して。
この素晴らしく温かな人が多い国に生まれたことに感謝して。
奇跡的な出会いでつながっている全ての人に感謝して。
エネルギーを放出して生活をしよう。
そして、その学びのきっかけとなった、
沢山の悲しみと苦しみを今日もこれからもずっとずっと忘れない。
世界は全部がつながりあっているから。
地震の揺れや停電に悩まされる1週間の出来事を未来の自分が忘れてしまわないように細かくメモしておこう。
一週間前の今日は、いつもと変らぬ日常で、丁度今日中に仕上げなくてはいけない仕事をしていた。
14時46分。
突然の揺れで、淹れたばかりの紅茶がこぼれないか不安だったことを覚えてる。
初めはヘラヘラとしていて、紅茶に気を取られていたけど、揺れが長く続いて、ようやく紅茶を机に置いて自分の身の心配をした。
揺れは長く続いていて、少しおさまった頃オフィスから見えるお台場方面で黒煙が立っていた。
みんなが野次馬精神で、窓のほうにいっせいに集まりだして、煙を眺めた。
IT系の会社ということだけあって、情報は早かった。
揺れている中でtwitterで、この地震がそうとうヤバイことを知らせてもらった。
揺れは何度もあって、10階のオフィスは相当揺れた。
下を眺めると、渋谷の街に人があふれ出していた。
首都高速を挟んだ向こう側のオフィスからは、非常階段を使って下に降りる人が沢山いた。
しばらくして、首都高速から車がいなくなった。
オフィスには、平然と仕事をする人。
地震の揺れで気分が悪くなった人。
情報収集に走る人。
全面ガラス張りのオフィスの被害を心配して、ブラインドを締め出す人。
ドアを確保するために、コピー用紙で全ての入り口を開けだす人。
実家に電話する人。
いろいろな人がいた。
揺れているさなか、母からメールがきた。
「みんな無事ですか?」
「無事だよ!」と返すがメールが送れない。
電話もダメ。
そうこうしているうちに、ふと父のことが頭をよぎった。
そういえば、昨日のメールで「仙台に出張中です」って言ってた。
不安になりだして、兄2人にメールを送るが届かない。。
彼から、PCにメールがあった。
「平気だった?」
「実家は大丈夫?」
このメールには救われたな。。。
それからしばらくして、16:30くらいして地震に関する指示が社内メールで届いた。
すごく冷静で、すごく的確でビックリした。
それからは、渋谷駅が大パニックでカオス状態なので、
歩いて帰る人が沢山道路に見え始めていた。
幸い、うちの会社は都心に住めば家賃補助という福利厚生の制度があるので、
ほとんどが都心に住んでいるのだけれど、遠くに家がある人は歩き出した。
私は、今夜はきっと彼も仕事で帰ってこられないだろうから、会社にいようと心に決めた。
父親の無事が確認できて、ホッとしてからは、普通に机に座って仕事をした。
夜19時頃になって、みんなでコンビニに行くことになった。
既にコンビニはザワザワしていて。
カゴいっぱいにカップラーメンを買う人が沢山いた。
幸いに、その日の夜はお泊り仲間がいて、会社の畳の部屋でテレビを見ながら寝た。
この夜も続く余震と、携帯電話の緊急地震速報で、みんなが興奮状態にあって、ほとんど眠れなかった。
夜中に、何度も彼が電話をかけてくれていた。
そして、何時間も歩いて無事に帰ったものの不安になった友人の何人かから電話をもらった。
明け方、渋谷に朝日が昇った。
こんなにも朝日が嬉しく思えたことは今までなかった。
けれども、朝もまだ余震が続きドキドキした私達は、結局みんなで固まって10時まで会社で寝た。
会社で淹れ立てのコーヒーを飲みながら、朝日をみた時は何ともいえない安堵感だった。
ようやく家に帰ろうと思った。
家族とは依然、メールや電話が取りにくい状況だった。
だから、母に近況を伝えるため、出来る限りブログやtwitterを更新した。
こういう時、母がネットリテラシーが高くてありがたかった。
外に出たらいつもと変らない渋谷。
ビラ配りのお兄さんもいて普通な街に救われた。
家のある日本橋も普通。
帰る途中、ビルのガラスが割れていることに驚いた。
そして、やっとお家に到着。
エレベーター前には、「エレベーター現在確認中」との手書きの張り紙。
ボタンを押してみると動いたので、ドキドキしながら乗ってみた。
家のドアを空けると、彼の予告どおり大惨事。
泥棒に入られたことないけど、泥棒に入られるよりもすごかったかも。
彼がいると思っていたたら、手書きの置手紙が、、
「とりあえず仕事にいかないといけないので、行ってきます。メール通じないね。そのうち戻れると思います」
正直、すごく不安で一人で部屋で泣いてしまいました。
帰りに買ったスタバを持って、居場所が無いのでベッドの上へ。
このときの我が家は、ベッドの上以外に居場所がないほどの惨事でした。
一息ついて、お風呂に入ろうと決意。
相変わらず余震があったけれど、ビクビクしながらシャワーをしてみた。
それからは心細かったものの、妙にしっかりしだした。
彼のママにメール
「今晩そちらにお邪魔させてください。部屋の割れ物を片付けたら、すぐに行きます。彼とは連絡がとれないのですが、彼と連絡をとって、彼も帰ります」
彼ママからすぐに返信があった。
「一人で心細いでしょ。部屋がスゴイことは聞いています。すぐにおいで。ご飯も一緒に食べましょう。」
すぐに何回も電話もくれたようでした。
彼ママの優しさが本当にありがたかったです。
それからしばらくして、彼から電話。
すぐに帰ってきてくれるとのこと。
母にもメールをして、彼のお家にお世話になることをつげた。
とにかく部屋には香水ビンやその他の割れ物も散乱していたので、急いでそれを片付けた。
彼と一緒に彼の実家へ。
スーパーは既に買占めが始まっていて、食材が買いにくい中で温かなご飯を用意してくれてありがたかったです。
次の日は、大惨事の我が家に戻って4時間半かかって原状回復。
疲れた~~。
その日も彼ママは夜ご飯を作ってくれた。
月曜日は自宅待機。
火曜日は、出社したものの途中で全員帰宅。
それからは、自宅勤務の一週間。
スカイプやらメールやらを使ってみんなで仕事していて、意外な勤務体系に感動を覚えた。
もしかしたら新しい仕事のやり方かもしれない。
買占めが始まったスーパーやコンビニの可愛そうな棚。
停電による電車のダイヤ乱れ。
原発のニュース。
被災者への援助物資のやりとり。
色々なことがあった1週間。
自宅勤務中は、お昼休みに気分転換に銀座の教会に行ってお祈りした。
朝晩は瞑想とお祈りをした。
沢山の悲しみが渦巻いていて。
地球がザワザワしている。
けれど、海外のニュースでは日本人の対応に賞賛が称えられており。
温かなエネルギーも増えだした。
1週間たっても、被災地の方は沢山の苦しみと悲しみの中にいる。
この現実をしっかりと見て、忘れずに、風化させずに、責任を持って援助をしよう。
1週間前の今日。
沢山の命がなくなり、沢山の悲しみと恐怖が生まれた。
そして、沢山の結びつきと優しさも生まれた。
これから親になる私達若い世代は、しっかりとこの現実を見て学ぶ義務がある。
日本は絶対に良くなる。
だから、笑顔で日常生活に戻ろうと決めた。
地震を起こしたこの大地と宇宙に感謝して。
この素晴らしく温かな人が多い国に生まれたことに感謝して。
奇跡的な出会いでつながっている全ての人に感謝して。
エネルギーを放出して生活をしよう。
そして、その学びのきっかけとなった、
沢山の悲しみと苦しみを今日もこれからもずっとずっと忘れない。
世界は全部がつながりあっているから。
この地震から、日本中が、世界中が本当に沢山のことを学んだと思う。
そして、今もなお苦しみの中にいる方々が本当に多くて、毎日心が痛い。
けれど、被災地でもない東京で暮らす私達は、悲しみにくれてばかりではいけない。
だから、しっかりと忘れないように書いておこうと思う。
そして、そろそろみんな笑顔で暮らそうではないか。
そもそも、私がブログを書いている理由は、未来の自分に向けたものだから、しっかりと記録しておく。
まずは、この地震から学んだこと。
沢山のことを学んだ。
・人との繋がりの大切さ
・励ましあうことの安心感
・人間の弱さ
・都心の恐ろしさ
・人はみんな優しいってこと
・私達の日常は、とてつもなく絶妙なバランスの上で成り立っていて、いつでもそれが崩壊する可能性があること
・大切な家族がいて、大切な人がいて、大切な友人がいることも、奇跡に近いこと。
・私達は、みんなつながっている。世界は全部同じなんだってこと。
・エネルギーは影響しあっていること
・与えられた人生をこれからも大切にしていくこと
・今ここにあふれている幸せに感謝し続けること
そして、私は色々と考えた。
自分のこのスピリチュアルな力や人に安心感を与える能力はしっかりと惜しみなく使っていこう。
大切な人や大切なことを見失わないように、やっぱりいつも感謝しよう。
被災地のことを絶対に忘れない。復旧までに何年かかるかわからないけれど、私は決して忘れないようにしたい。
みんなが忘れてしまっても、私は忘れないようにする。
人の心が平安を取り戻すには何年も、何十年もかかるかもしれない。だから、人の心の復旧にも気を配って、貢献していこう。
日本を元気にすることに貢献しよう。
今携わっている仕事に感謝した。そして、私がいる小さな組織という箱にも。
たくさんの人がいて、たくさんの人がみんなを思いやっている箱の中にいられることは、本当にありがたいこと。
そして、世界に「日本が頑張ってるよ!!」って伝えたい。だから、『引き続き世界と繋がれる仕事』をしたい。
今、都心に住む私達が出来ること。
経済を回すこと。
明るく日常生活を続けること。
出来る限りのあらゆる援助をすること。
日本は絶対に良くなる。
だから、笑顔で日常生活に戻ろうと決めた。
地震を起こしたこの大地と宇宙に感謝して。
この素晴らしく温かな人が多い国に生まれたことに感謝して。
奇跡的な出会いでつながっている全ての人に感謝して。
エネルギーを放出して生活をしよう。
そして、その学びのきっかけとなった、
沢山の悲しみと苦しみを今日もこれからもずっとずっと忘れない。
世界は全部がつながりあっているから。
地震の揺れや停電に悩まされる1週間の出来事を未来の自分が忘れてしまわないように細かくメモしておこう。
一週間前の今日は、いつもと変らぬ日常で、丁度今日中に仕上げなくてはいけない仕事をしていた。
14時46分。
突然の揺れで、淹れたばかりの紅茶がこぼれないか不安だったことを覚えてる。
初めはヘラヘラとしていて、紅茶に気を取られていたけど、揺れが長く続いて、ようやく紅茶を机に置いて自分の身の心配をした。
揺れは長く続いていて、少しおさまった頃オフィスから見えるお台場方面で黒煙が立っていた。
みんなが野次馬精神で、窓のほうにいっせいに集まりだして、煙を眺めた。
IT系の会社ということだけあって、情報は早かった。
揺れている中でtwitterで、この地震がそうとうヤバイことを知らせてもらった。
揺れは何度もあって、10階のオフィスは相当揺れた。
下を眺めると、渋谷の街に人があふれ出していた。
首都高速を挟んだ向こう側のオフィスからは、非常階段を使って下に降りる人が沢山いた。
しばらくして、首都高速から車がいなくなった。
オフィスには、平然と仕事をする人。
地震の揺れで気分が悪くなった人。
情報収集に走る人。
全面ガラス張りのオフィスの被害を心配して、ブラインドを締め出す人。
ドアを確保するために、コピー用紙で全ての入り口を開けだす人。
実家に電話する人。
いろいろな人がいた。
揺れているさなか、母からメールがきた。
「みんな無事ですか?」
「無事だよ!」と返すがメールが送れない。
電話もダメ。
そうこうしているうちに、ふと父のことが頭をよぎった。
そういえば、昨日のメールで「仙台に出張中です」って言ってた。
不安になりだして、兄2人にメールを送るが届かない。。
彼から、PCにメールがあった。
「平気だった?」
「実家は大丈夫?」
このメールには救われたな。。。
それからしばらくして、16:30くらいして地震に関する指示が社内メールで届いた。
すごく冷静で、すごく的確でビックリした。
それからは、渋谷駅が大パニックでカオス状態なので、
歩いて帰る人が沢山道路に見え始めていた。
幸い、うちの会社は都心に住めば家賃補助という福利厚生の制度があるので、
ほとんどが都心に住んでいるのだけれど、遠くに家がある人は歩き出した。
私は、今夜はきっと彼も仕事で帰ってこられないだろうから、会社にいようと心に決めた。
父親の無事が確認できて、ホッとしてからは、普通に机に座って仕事をした。
夜19時頃になって、みんなでコンビニに行くことになった。
既にコンビニはザワザワしていて。
カゴいっぱいにカップラーメンを買う人が沢山いた。
幸いに、その日の夜はお泊り仲間がいて、会社の畳の部屋でテレビを見ながら寝た。
この夜も続く余震と、携帯電話の緊急地震速報で、みんなが興奮状態にあって、ほとんど眠れなかった。
夜中に、何度も彼が電話をかけてくれていた。
そして、何時間も歩いて無事に帰ったものの不安になった友人の何人かから電話をもらった。
明け方、渋谷に朝日が昇った。
こんなにも朝日が嬉しく思えたことは今までなかった。
けれども、朝もまだ余震が続きドキドキした私達は、結局みんなで固まって10時まで会社で寝た。
会社で淹れ立てのコーヒーを飲みながら、朝日をみた時は何ともいえない安堵感だった。
ようやく家に帰ろうと思った。
家族とは依然、メールや電話が取りにくい状況だった。
だから、母に近況を伝えるため、出来る限りブログやtwitterを更新した。
こういう時、母がネットリテラシーが高くてありがたかった。
外に出たらいつもと変らない渋谷。
ビラ配りのお兄さんもいて普通な街に救われた。
家のある日本橋も普通。
帰る途中、ビルのガラスが割れていることに驚いた。
そして、やっとお家に到着。
エレベーター前には、「エレベーター現在確認中」との手書きの張り紙。
ボタンを押してみると動いたので、ドキドキしながら乗ってみた。
家のドアを空けると、彼の予告どおり大惨事。
泥棒に入られたことないけど、泥棒に入られるよりもすごかったかも。
彼がいると思っていたたら、手書きの置手紙が、、
「とりあえず仕事にいかないといけないので、行ってきます。メール通じないね。そのうち戻れると思います」
正直、すごく不安で一人で部屋で泣いてしまいました。
帰りに買ったスタバを持って、居場所が無いのでベッドの上へ。
このときの我が家は、ベッドの上以外に居場所がないほどの惨事でした。
一息ついて、お風呂に入ろうと決意。
相変わらず余震があったけれど、ビクビクしながらシャワーをしてみた。
それからは心細かったものの、妙にしっかりしだした。
彼のママにメール
「今晩そちらにお邪魔させてください。部屋の割れ物を片付けたら、すぐに行きます。彼とは連絡がとれないのですが、彼と連絡をとって、彼も帰ります」
彼ママからすぐに返信があった。
「一人で心細いでしょ。部屋がスゴイことは聞いています。すぐにおいで。ご飯も一緒に食べましょう。」
すぐに何回も電話もくれたようでした。
彼ママの優しさが本当にありがたかったです。
それからしばらくして、彼から電話。
すぐに帰ってきてくれるとのこと。
母にもメールをして、彼のお家にお世話になることをつげた。
とにかく部屋には香水ビンやその他の割れ物も散乱していたので、急いでそれを片付けた。
彼と一緒に彼の実家へ。
スーパーは既に買占めが始まっていて、食材が買いにくい中で温かなご飯を用意してくれてありがたかったです。
次の日は、大惨事の我が家に戻って4時間半かかって原状回復。
疲れた~~。
その日も彼ママは夜ご飯を作ってくれた。
月曜日は自宅待機。
火曜日は、出社したものの途中で全員帰宅。
それからは、自宅勤務の一週間。
スカイプやらメールやらを使ってみんなで仕事していて、意外な勤務体系に感動を覚えた。
もしかしたら新しい仕事のやり方かもしれない。
買占めが始まったスーパーやコンビニの可愛そうな棚。
停電による電車のダイヤ乱れ。
原発のニュース。
被災者への援助物資のやりとり。
色々なことがあった1週間。
自宅勤務中は、お昼休みに気分転換に銀座の教会に行ってお祈りした。
朝晩は瞑想とお祈りをした。
沢山の悲しみが渦巻いていて。
地球がザワザワしている。
けれど、海外のニュースでは日本人の対応に賞賛が称えられており。
温かなエネルギーも増えだした。
1週間たっても、被災地の方は沢山の苦しみと悲しみの中にいる。
この現実をしっかりと見て、忘れずに、風化させずに、責任を持って援助をしよう。
1週間前の今日。
沢山の命がなくなり、沢山の悲しみと恐怖が生まれた。
そして、沢山の結びつきと優しさも生まれた。
これから親になる私達若い世代は、しっかりとこの現実を見て学ぶ義務がある。
日本は絶対に良くなる。
だから、笑顔で日常生活に戻ろうと決めた。
地震を起こしたこの大地と宇宙に感謝して。
この素晴らしく温かな人が多い国に生まれたことに感謝して。
奇跡的な出会いでつながっている全ての人に感謝して。
エネルギーを放出して生活をしよう。
そして、その学びのきっかけとなった、
沢山の悲しみと苦しみを今日もこれからもずっとずっと忘れない。
世界は全部がつながりあっているから。