母のことを書こうとしても、なんだろう悲しみはないんだけど実感もなくなんだよね。
毒親だったからほんと嫌いで仕方なかった。
介護していても、入院した折も、心の中は悪魔でした(/ω\)イヤン
母にはそれが生きがいだったのかもね。
私も母に負けることなく毒娘に成長しそれが生きがいだったのかも(⌒▽⌒)アハハ!
やっと4ヵ月、まだ4ヵ月?とおもったり、実感がなかったり意味不明な心中(⌒▽⌒)アハハ!
40歳から母の介護に携わり64歳で卒業長かった!
最初の10年ほどは、後悔と恨み節と諦めでしたね。
私には自由もなく、母にがんじがらめで愛犬だけの生活
体も悪化し、そのまま人生を閉じたかったけどね。
そううまくはいかないね。先祖からまだまだぁ~と生かされて(/ω\)イヤン
でも今はしっかりと母が気のすむまで生きてくれてよかったと思っています。
母が危篤に陥った折に、母の親友が他界されていたこともわかり驚きました。
ともにこの世を去ったんですよね。不思議ですね。
母よりも10歳お若方でしたし、いつも歩いており私も会話していたんだけどね。
毒親でも私の年には、大活躍しており、近隣の方がたからお話を聞き驚くことばかりです。
私の知っている母とは大違いでね。
交遊もあり青春を謳歌していたようです。
私には近隣とのお付き合いのお話なんてしないし、口を開けばあぁあだこうだばかりだったのにね。
私の性格とは大違いで、見栄っ張りで人とのお付き合いはしない人でしたけどね。
私の悪友たちとの付き合いも私抜きで「お野菜あるから取りにおいで」とかあったそうなぁ!!Σ(・ω・ノ)ノ!
どこでどう変わったのかね(-_-;)
以外に皆さんから可愛がられ愛されていたことにΣ(・ω・ノ)ノ!でした。
私の気持ちに変化が起きたのは、3年ぐらい前に「(人''▽`)ありがとう☆」と母の口から出た言葉でした。
それからはちゃんと愛を持って介護いたしました。
どんなことがあっても、ほめる言葉など投げかけたこともなく、愚弄されて育ちましたからね。
人間失格レッテルをはられてね。
生まれてきてごめんなさいから始まり人間失格までね。
でも私は私で生きてきました。
ただ一人ではこの世に生まれることもできず育つこともね。
そこには感謝しています。
確かに親は子を選べないし、子も親を選べない!
どう耐え抜くか、どう切り開くかは自分しかない。
恨む?(´ε`;)ウーン…それはなかったかなぁ。
私自身が素直、破天荒、虚弱体質じゃなかったらまた違った親子関係だったかもね。
自我が強い子だったので母もイライラさんだったんでしょうね。
父に似たからそれは遺伝子しかたないっす(⌒▽⌒)アハハ!
でもそのおかげでここまで強くなり、難病と闘えるし、毒親を最後まで見ることもできたしね。
私自身も変わりましたね。
あれだけ土が嫌いな私が今やお野菜をお庭で作ったり、お花を育てたりしてるんだからね。
悪いことばかりではないですね。
本来なら私のほうがお先だったのに(⌒▽⌒)アハハ!
未だに「あっ母の施設へ」と思うときがあるんだよね。習慣って怖いね。
もう本当に羽ばたけるのに、いまだこの地に残っている(/ω\)イヤン
これから母の介護を振り返って書いていきたいと思います。
