1995年1月17日に発生した兵庫県南部地震による大規模地震災害のことである。 1995年1月17日5時46分52秒、淡路島北部沖の明石海峡を震源として、Mj7.3 の兵庫県南部地震が発生した。

 

忘れてはいけない!

語り継がれなきゃいけない!

 

ですね。

 

私は忘れることができません、今も地震恐怖症のままです。

 

この地震が起きるまで、特に大きな地震に遭遇したこともない私です。

関東在住で、母や親族が関西にいました。

あの日私は飲み会で朝帰りちょうど5時過ぎでした(゚Д゚;)

爆死中7時過ぎに友人たちから電話が・・・

意味も解らずに酔っ払いが応答していると「TVつけろ!水シャワー浴びて目を覚ませ!!」って激怒されました。

TVつけると火の車状態(・・? 泥酔の私に理解できるわけがないですが、徐々に事の重大さがΣ( ̄ロ ̄lll)ガーン

もうそのころには電話は通じません・・・どこにも・・・

どうすることもできずTVにくぎ付けですが、同じ場所の情報しか・・・

今みたいにSNSがないのでえらえる情報はTVしかありません(´;ω;`)ウッ…

恐怖の時間でした。

10時過ぎに親族から「全員大丈夫連絡取れているから」と電話があり胸をなでおろしました。

その後も毎日電話で母と話すが、声に元気がなく症状が知りたく被災した友人たちが見にいってくれました。

私も必死で情報変える方法を探し、やっと10日過ぎに飛行機→船→タクシー→電車で行けることがわかり即座に帰宅

(@_@)2時間半ぐらいでつきました。姉は大阪からでしたが6時間半かかっていました。

六甲道切断され徒歩でその部分を歩いたそうです。西宮あたりから神戸までの間を徒歩や乗り継ぎでだったようだ。

 

私は飛行場で、大きな携帯をもった怪しい人たちと一緒に六甲アイランドまで船で渡り、そこからタクシー

タクシーって!!そりゃすごい凸凹でした。アスファルトのめくれでです。横には高速道路が横たわっていますΣ(゚Д゚;エーッ!

きらびやかな街は灰色で、白黒です。まるで戦争の画像のようでした。自然に涙がこぼれ落ちました。

電車から見える町は、倒れ掛かった斜めの家やマンションから洗濯物が風になびいていて、一生忘れることできません。

ドラマでもあったように明石につくとそこは普通の世界でした。

ステーションも電車も普通に動いていて人も家も・・・・普通でした。

でも1歩はいると家が崩れていたり、お友達の家はゴルフボールを置くと転がってきました。

それでも皆そこで文句ひとつ言わず生活しています。

購入してまだかぐしか入れていないマンションがなくなりローンだけが・・・と友人が言っていました。

 

あの日で一変してしまいました。

そして報道の方よりにも

 

友人からは家はつぶれ被災し車生活3日間救援物資も届かなくて何も食べなくて過ごしたと( ´Д`)=3 フゥ

 

私は東京に戻り、母へ水やカロリーメイトを送りました。

後で怒られたけど「こんなに送ってきてどうするねん、ここは普通に買えるわ」って

でも関東でも救援物資を送る方が多く品薄でした。

 

それ以来実家の駐車場に非常食を置くようにしています。

 

昨日震災のドラマ見ることできませんでしたフラッシュバックしてきて(;´Д`)

被災していない私でもこんなに辛いのに、被災された方々はもっとでしょうね。

24年たっても消えることはない。

そして昨日洲本震源で震度2だけど地震速報がでて恐怖でした。

後7時間で24年前の1.17が起きた時間ですね。

 

祈る☆彡