なくなられた方のご冥福を謹んでお祈りいたすとともに早く家族さんの元に帰れることを祈っています☆彡

日航ジャンボ機墜落事故とは
昭和60年8月12日、日本航空のジャンボ機123便は羽田から大阪に向かう途中、機体の損傷によるトラブルで操縦不能に陥り、長野県との県境に近い群馬県上野村の御巣鷹の尾根に墜落しました。
お盆の帰省客やビジネスマンなどでほぼ満席の状態で、4人の生存者を除く乗客乗員520人が死亡しました。単独機としては、史上最悪の事故となり大量輸送時代の空の安全が厳しく問われることになりました。
事故原因について当時の航空事故調査委員会は、事故の7年前、昭和53年に起きたしりもち事故の修理ミスで強度が不足していた機体後部の「圧力隔壁」が上空で壊れ、垂直尾翼や操縦系統が破壊されたとする事故調査報告書を公表しました。
警察や検察は、日本航空とメーカーのボーイング社、それに当時の運輸省の関係者を業務上過失致死などの疑いで捜査しましたが、いずれも不起訴処分になりました。
事故後、遺族は連絡会を結成し、再発防止や被害者の支援の活動を積極的に行ってきました。事故現場となった「御巣鷹の尾根」には慰霊碑がたてられ、事故から30年たった今も遺族や関係者による慰霊登山が続いています。


30年前、姪っ子が東京に住んでいる私の元へ夏休みを来たいと連絡があり、姉たちの都合が合わなくて私がとんぼ返りで迎えに行くことになっていました。
ところが姉が急に同行できるから飛行機予約取ったと連絡が入り、私はこの飛行機をキャンセルしました。

友人もびっくりして電話をくれた。生きた心地しなかったけど名前がないし声がきけてよかったといってくれた。

このニュースを見たとき他人事ではありませんでした。
私がキャンセルしたから他の人が犠牲になったんですよね。

そして姪っ子たちがその翌日朝一番の飛行機で羽田に来ました。
何度も新幹線に変更するようにいったんですが・・・・
羽田に迎えに行った私は生きた心地がしません。
忘れもしません。20分ほど到着が遅れて、お迎えゲートではざわつきみんな不安な顔で祈りながら待っていました。

無事到着しそしてお迎えの人たちで声があがり自然と拍手していました。
姉たちの顔が見れてほっとしました。


姉と姪っ子は能天気!一度落ちたらそう簡単には落ちないからと(;一_一)
いえ、飛行機は連続するんですけど・・・・・
でもこの事故がなかったら、私自身も姉たちと同じだったかもしれない
常に飛行機を利用してた私だから。



30年も年月たったんだ。そりゃ年取るわな私も(爆)


でも30年経っても未だに家族さんの元にもどられていない方々もいる、薄れ行く記憶。
そうだよね、しらない世代の方が多いかも

業務過失によるって絶対にあってはいけないこと!

未だ30年経っても家族の方々の悲しみは消えない
家族との出会いもされていない人々も

語り継いでいかなきゃいけない悲しみの事故!
私にとってもまた忘れられない記憶
いつのころからか飛行機を利用しなくなったなぁ~。

今日姉と会う偶然にこの日に、姉があの日姪っ子に同行するといってくれていなかったら私はここにいないと思うので感謝しよう☆彡