1995年(平成7年)1月17日午前5時46分52秒淡路島北部沖の明石海峡を震源としての兵庫県南部地震が発生した。
近畿圏の広域(兵庫県を中心に、大阪府、京都府も)が大きな被害を受けた。特に震源に近い神戸市市街地(東灘区・灘区・中央区(三宮・元町・ポートアイランドなど)・兵庫区・長田区・須磨区)の被害の様子は甚大で、日本国内のみならず世界中に衝撃を与えた。
1995年1月25日の政令により激甚災害法(激甚災害に対処するための特別の財政援助等に関する法律)に基づく激甚災害に指定。
忘れもしない日、忘れてはいけない日
語り継がれていかなくてはいけない日です
あれから19年も経つんですね(・□・;)昨日のことのように記憶が残っています(´;ω;`)
私は19年前千葉に住んでいました。
その日は友人に誘われ飲み歩いていました。
自宅に戻ったのが、ちょうど地震が起きた時間ぐらいだと思います。
いつもなら朝帰りの日は、シャワーを浴びて、TVをコーヒーを飲みながら見るのですが(^_^;)
超酔っ払いで、そのままbedにころがり込み眠ったようです。
電話が鳴り響きました、時計を見ると7時ごろだったと思います。
友人からでした。夢うつつに聞いていたら「なにやってんだ[m:76]いいからTVをつけろ」と怒鳴られ、TVをつけると、なんか火の海[m:75]
TVの画面の中が真っ赤かでした。
「ばか!!水をあびて来い大変なことになってるぞ」
理解できるまで、すごく長いような気がしますが5分程度だったかな?
血の気が引きました、TVの画面に・・・・・・
どうすることも出来ず・・・・・ただただTVに食い入り情報をえようとしますが、明石の情報はまったく得ることが出来ません(´;ω;`)
まだ、携帯も普及していませんから、お家の固定電話のみです。
電話が一日中鳴り響きました。
もちろん家に電話をしてもかかりません(・□・;)
いとこが電話をくれたのが10時過ぎ「大丈夫だよ、皆無事だから、心配しないで」と、胸をなでおろしたと同時に二日酔いで嘔吐起き上がることができませんでした。
ただ、ただ、情報を得るためにTVを見ることしか出来ませんでした。
車で行くにしても通行止めばかりで・・・・
無論電車も・・・・
一週間後にやっと飛行機(関空)→エアーバス(ポーアイ)→タクシー(神戸)→JR明石→山陽電車中八木といけることが分かりました。
その間にも友人や知人に母の様子を見に行ってもらいました。
皆のおうちも大変な状況なのに(・□・;)
母は体調が壊れている様子でした。
でもまだこのとき私はその大変さが分かっていませんでした。
普通の格好で行ってしまいました。毛皮のコート・ブーツ・ブランドもののカバンでした。
関空についた時には、その物々しさに驚きました。
大きな携帯を持った怪しげな人たちが沢山いました。
それから目に飛び込んできたのは(;゚Д゚)!
道は割れて普通には走れない状態。高速は横倒、空気は灰色・空も灰色に見えました。歩いている人たちは登山のような格好でした。
あのきらびやかな神戸はなく、セピア色の町まるで戦争でも起きたかのようなげっそり無論笑顔などありません・・・・
人々は黙々と歩いていました。
電車から見えた風景は、傾いた家やマンションに洗濯物を干している人たちが見えました、涙があふれました(´;ω;`)
東京から2時間半で明石には着きました。
明石は普通にお店も開いていました。あまり変化はありませんでした。
姉も大阪から同じ日にやってきたのですが、6時間ぐらいかかっていました。途中から電車がなく、歩いて動いている駅まで来たそうです。
母は私の格好を見て激怒しました。そりゃぁーそうですね(・□・;)
毛皮にブーツにシャネルのバックじゃ・・・・
一週間滞在しましたが、地震は続いていました。
夜はほとんど眠れません。
母からパジャマには着替えては駄目、洋服のまま眠るんだよ。かばんは手の届く範囲において・・・・
母はこの日から、つい先日までパジャマに着替えることはありませんでした。認知症になってから着替えますけどね。
母が「前日に大きな音がしたんだよ、夜の八時ごろね、そして朝5時ごろどーんと一度沈んだと思ったら・・・・ゆれが少し収まったときに、とにかく近くの畑に逃げたよ。」
ここいらはお水は出ていたし、救援物資なんか届かないよ。
甥っ子が地震が起きたときに、おバァーちゃん心配と車で大阪から来たそうですが、高速もなくした道で、恐怖を味わったそうです。
大きな音がしたのでバックミラーで後ろを見るとビルが崩れ落ちて道路をふさいでいたそうです(・□・;)
とにかく食べるものを調達して岡山の方を回って明石にきたそうです。
8時間ぐらいかかったらしいです。
http://gigazine.net/news/20090117_great_hanshin_awaji_earthquake/
そのときの写真が事細かくUPされています
近畿圏の広域(兵庫県を中心に、大阪府、京都府も)が大きな被害を受けた。特に震源に近い神戸市市街地(東灘区・灘区・中央区(三宮・元町・ポートアイランドなど)・兵庫区・長田区・須磨区)の被害の様子は甚大で、日本国内のみならず世界中に衝撃を与えた。
1995年1月25日の政令により激甚災害法(激甚災害に対処するための特別の財政援助等に関する法律)に基づく激甚災害に指定。
忘れもしない日、忘れてはいけない日
語り継がれていかなくてはいけない日です
あれから19年も経つんですね(・□・;)昨日のことのように記憶が残っています(´;ω;`)
私は19年前千葉に住んでいました。
その日は友人に誘われ飲み歩いていました。
自宅に戻ったのが、ちょうど地震が起きた時間ぐらいだと思います。
いつもなら朝帰りの日は、シャワーを浴びて、TVをコーヒーを飲みながら見るのですが(^_^;)
超酔っ払いで、そのままbedにころがり込み眠ったようです。
電話が鳴り響きました、時計を見ると7時ごろだったと思います。
友人からでした。夢うつつに聞いていたら「なにやってんだ[m:76]いいからTVをつけろ」と怒鳴られ、TVをつけると、なんか火の海[m:75]
TVの画面の中が真っ赤かでした。
「ばか!!水をあびて来い大変なことになってるぞ」
理解できるまで、すごく長いような気がしますが5分程度だったかな?
血の気が引きました、TVの画面に・・・・・・
どうすることも出来ず・・・・・ただただTVに食い入り情報をえようとしますが、明石の情報はまったく得ることが出来ません(´;ω;`)
まだ、携帯も普及していませんから、お家の固定電話のみです。
電話が一日中鳴り響きました。
もちろん家に電話をしてもかかりません(・□・;)
いとこが電話をくれたのが10時過ぎ「大丈夫だよ、皆無事だから、心配しないで」と、胸をなでおろしたと同時に二日酔いで嘔吐起き上がることができませんでした。
ただ、ただ、情報を得るためにTVを見ることしか出来ませんでした。
車で行くにしても通行止めばかりで・・・・
無論電車も・・・・
一週間後にやっと飛行機(関空)→エアーバス(ポーアイ)→タクシー(神戸)→JR明石→山陽電車中八木といけることが分かりました。
その間にも友人や知人に母の様子を見に行ってもらいました。
皆のおうちも大変な状況なのに(・□・;)
母は体調が壊れている様子でした。
でもまだこのとき私はその大変さが分かっていませんでした。
普通の格好で行ってしまいました。毛皮のコート・ブーツ・ブランドもののカバンでした。
関空についた時には、その物々しさに驚きました。
大きな携帯を持った怪しげな人たちが沢山いました。
それから目に飛び込んできたのは(;゚Д゚)!
道は割れて普通には走れない状態。高速は横倒、空気は灰色・空も灰色に見えました。歩いている人たちは登山のような格好でした。
あのきらびやかな神戸はなく、セピア色の町まるで戦争でも起きたかのようなげっそり無論笑顔などありません・・・・
人々は黙々と歩いていました。
電車から見えた風景は、傾いた家やマンションに洗濯物を干している人たちが見えました、涙があふれました(´;ω;`)
東京から2時間半で明石には着きました。
明石は普通にお店も開いていました。あまり変化はありませんでした。
姉も大阪から同じ日にやってきたのですが、6時間ぐらいかかっていました。途中から電車がなく、歩いて動いている駅まで来たそうです。
母は私の格好を見て激怒しました。そりゃぁーそうですね(・□・;)
毛皮にブーツにシャネルのバックじゃ・・・・
一週間滞在しましたが、地震は続いていました。
夜はほとんど眠れません。
母からパジャマには着替えては駄目、洋服のまま眠るんだよ。かばんは手の届く範囲において・・・・
母はこの日から、つい先日までパジャマに着替えることはありませんでした。認知症になってから着替えますけどね。
母が「前日に大きな音がしたんだよ、夜の八時ごろね、そして朝5時ごろどーんと一度沈んだと思ったら・・・・ゆれが少し収まったときに、とにかく近くの畑に逃げたよ。」
ここいらはお水は出ていたし、救援物資なんか届かないよ。
甥っ子が地震が起きたときに、おバァーちゃん心配と車で大阪から来たそうですが、高速もなくした道で、恐怖を味わったそうです。
大きな音がしたのでバックミラーで後ろを見るとビルが崩れ落ちて道路をふさいでいたそうです(・□・;)
とにかく食べるものを調達して岡山の方を回って明石にきたそうです。
8時間ぐらいかかったらしいです。
http://gigazine.net/news/20090117_great_hanshin_awaji_earthquake/
そのときの写真が事細かくUPされています
