母の介護初めて十数年たちました。
私は東京在住で、阪神大震災以降母の体調管理を2ヶ月に一度母の状態を目で確かめるために明石に戻る生活で、電話は週に3日でした。
15年前に、兄は転勤族で任せることはできないと判断し、実家に戻ることを検討し始めました。
交通費や電話代がもったいないと考えたのが理由でした。
決定したのはそれから3年後、仕事関係でちょうどきりがよかったので
そのころ母はまだ元気でひとりでの生活を楽しんでいたので、私は煙たがられ、外に放り出されてしまいました。但し、車で30分以内の明石市内・・・・マンションを買わされた
母の気持ちは、まだこの頃は兄夫婦と同居したい!実家は兄のものと考えていたんですね。
私が家にいたら、邪魔物だったんでしょうね・・・・・
でももうその頃すでに母の認知症は始まっていたんですね。
その当時はまったくわかっていません・・・・・
買い物依存・・・・
攻撃的・・・・
外に放り出されたときに、母の介護はしない!
実家には泊まらない!
と宣言しました。
だが、そういうわけにはその5年後行かなくなってしまいました。
母が体調を崩し、泊まったのが最後、マンションへ戻ることはできなくなりました。
母は83歳・・・・まだぴんぴんしてたんですけどね。
一人での生活不安があったようです。まだ私は気がついていません。
今考えると、自転車で転び大怪我をしていたり、病院へ行くといって病院までたどりつかなかったり、暴言を吐いたり、引きこもりになったり、人の悪口をいったり・・・・
自分の母親が認知症だと認めることに拒否をした私や兄弟たち。
少しづつ、自分の気持ちを切り替えるまでに、苦労しました。
私の体調悪化もあり、介護認定を受けることにしました。
母にはもう攻撃的に攻めつづけられたりして精神的に疲れ果てていました。
でも、母は見た目も会話も普通なんで、審査する方が認めてくれるかどうか、あまり期待せずにいましたが、まだら認知に気がついてくださり認定されました。
兄弟たちからも攻撃を受けました。自分の母親を認知症扱いしてと・・・・
まず、ヘルパーを入れることを目標におき、ゴミ屋敷の整理からはじめ、お家のリフォームをすることに、母の猛反対もあったけど、これをしない限りどうにもならないので強行突破
もうニッチもさっちも行かなくなり途方にくれていたときに、姪っ子がディに行かせたら?
母は車乗れないので無理だろうと諦めていましたが、近隣に二箇所訪問し請け負ってくださるかお願いしてみたら、一箇所引き受けてくれました。
お迎えが、車ではなく自転車で
そこのケアマネと契約をして、スタッフさんの協力もありディ施設に通うことに!
お隣にヘルパーが入っていたので顔なじみになり、母もお隣にきているヘルパーならOKをくれたので、即座に契約。
自分の入院準備もととのったので、手術を決意!
兄弟たちはまったく当てにならないので、自宅介護でヘルパーに来ていただきました。
週二回のディも。
母の攻撃は三年ほど続きました。
ディには母のお友達も引き込み
お迎えつきのカラオケ施設ってね(爆)
母の年代は皆認知症に値するから
難病になってから、母をショートに預けることを決意!
母からはやはり攻撃的行為受けておりますけど(母親を捨てる娘)ってね。
月二回用事があろうともなかろうとも三泊四日は私の休日と題して
母の認知症も進み、今は穏やかにディ(大学)やショート(姥捨て山)に行ってくれています。
施設のスッフのかたがたも協力的で、すごく助かっています
私自身も月二回の休息があり穏やかに母に接することもできるし、母自信もお家で生活できるありがたさを味わってくれているので、いい方向に進んでいます。
非協力的な兄弟たちも、母がいないときは旅行できると大喜び・・・・・
母がいるときにもチビたちがきて一緒に食事いけるようにもなり、少しぐらいの距離なら母も来るまでの外出もできるようになりました。
母の介護を愛犬たちもしてくれています。
ヘルパーも孫のような年代の方でお願いしています。
おかげで母は89歳と7ヶ月元気で過ごしています
オリンピックが7年後さぁー母も私も兄弟たちも愛犬も誰一人かけることなく観戦できるのでしょうか
まずは一日一日誰一人かけることなく健康に仲良く生きることが目標です
甥っ子家族が月に一度来てくれるので、母にはいい刺激になっています
兄弟や親族の関係を作り上げる苦労もありましたけど
今は一つにまとまっていい関係を築き上げれたと思っています。
母は幸せ者ですね
父と姉は病院や救急に問題があり他界してしまい、叔父はアスベスト被害者で他界
その分を母が生きれているのかもしれません。親族で一番の長寿ですから
敬老の日は母はショートですけど、先週甥っ子家族と姉と姪っ子でお祝いをしました
もう一人の敬老姉と旅行するので(爆)
そのうち私も甥っ子や姪っ子から敬老の日プレゼントもらうのかな(爆)

私は東京在住で、阪神大震災以降母の体調管理を2ヶ月に一度母の状態を目で確かめるために明石に戻る生活で、電話は週に3日でした。
15年前に、兄は転勤族で任せることはできないと判断し、実家に戻ることを検討し始めました。
交通費や電話代がもったいないと考えたのが理由でした。
決定したのはそれから3年後、仕事関係でちょうどきりがよかったので
そのころ母はまだ元気でひとりでの生活を楽しんでいたので、私は煙たがられ、外に放り出されてしまいました。但し、車で30分以内の明石市内・・・・マンションを買わされた

母の気持ちは、まだこの頃は兄夫婦と同居したい!実家は兄のものと考えていたんですね。
私が家にいたら、邪魔物だったんでしょうね・・・・・
でももうその頃すでに母の認知症は始まっていたんですね。
その当時はまったくわかっていません・・・・・
買い物依存・・・・
攻撃的・・・・
外に放り出されたときに、母の介護はしない!
実家には泊まらない!
と宣言しました。
だが、そういうわけにはその5年後行かなくなってしまいました。
母が体調を崩し、泊まったのが最後、マンションへ戻ることはできなくなりました。
母は83歳・・・・まだぴんぴんしてたんですけどね。
一人での生活不安があったようです。まだ私は気がついていません。
今考えると、自転車で転び大怪我をしていたり、病院へ行くといって病院までたどりつかなかったり、暴言を吐いたり、引きこもりになったり、人の悪口をいったり・・・・
自分の母親が認知症だと認めることに拒否をした私や兄弟たち。
少しづつ、自分の気持ちを切り替えるまでに、苦労しました。
私の体調悪化もあり、介護認定を受けることにしました。
母にはもう攻撃的に攻めつづけられたりして精神的に疲れ果てていました。
でも、母は見た目も会話も普通なんで、審査する方が認めてくれるかどうか、あまり期待せずにいましたが、まだら認知に気がついてくださり認定されました。

兄弟たちからも攻撃を受けました。自分の母親を認知症扱いしてと・・・・
まず、ヘルパーを入れることを目標におき、ゴミ屋敷の整理からはじめ、お家のリフォームをすることに、母の猛反対もあったけど、これをしない限りどうにもならないので強行突破

もうニッチもさっちも行かなくなり途方にくれていたときに、姪っ子がディに行かせたら?
母は車乗れないので無理だろうと諦めていましたが、近隣に二箇所訪問し請け負ってくださるかお願いしてみたら、一箇所引き受けてくれました。
お迎えが、車ではなく自転車で

そこのケアマネと契約をして、スタッフさんの協力もありディ施設に通うことに!
お隣にヘルパーが入っていたので顔なじみになり、母もお隣にきているヘルパーならOKをくれたので、即座に契約。
自分の入院準備もととのったので、手術を決意!
兄弟たちはまったく当てにならないので、自宅介護でヘルパーに来ていただきました。
週二回のディも。
母の攻撃は三年ほど続きました。
ディには母のお友達も引き込み

お迎えつきのカラオケ施設ってね(爆)
母の年代は皆認知症に値するから

難病になってから、母をショートに預けることを決意!
母からはやはり攻撃的行為受けておりますけど(母親を捨てる娘)ってね。
月二回用事があろうともなかろうとも三泊四日は私の休日と題して

母の認知症も進み、今は穏やかにディ(大学)やショート(姥捨て山)に行ってくれています。
施設のスッフのかたがたも協力的で、すごく助かっています

私自身も月二回の休息があり穏やかに母に接することもできるし、母自信もお家で生活できるありがたさを味わってくれているので、いい方向に進んでいます。
非協力的な兄弟たちも、母がいないときは旅行できると大喜び・・・・・

母がいるときにもチビたちがきて一緒に食事いけるようにもなり、少しぐらいの距離なら母も来るまでの外出もできるようになりました。
母の介護を愛犬たちもしてくれています。
ヘルパーも孫のような年代の方でお願いしています。
おかげで母は89歳と7ヶ月元気で過ごしています

オリンピックが7年後さぁー母も私も兄弟たちも愛犬も誰一人かけることなく観戦できるのでしょうか

まずは一日一日誰一人かけることなく健康に仲良く生きることが目標です

甥っ子家族が月に一度来てくれるので、母にはいい刺激になっています

兄弟や親族の関係を作り上げる苦労もありましたけど

今は一つにまとまっていい関係を築き上げれたと思っています。
母は幸せ者ですね

父と姉は病院や救急に問題があり他界してしまい、叔父はアスベスト被害者で他界

その分を母が生きれているのかもしれません。親族で一番の長寿ですから

敬老の日は母はショートですけど、先週甥っ子家族と姉と姪っ子でお祝いをしました

もう一人の敬老姉と旅行するので(爆)
そのうち私も甥っ子や姪っ子から敬老の日プレゼントもらうのかな(爆)

