古典文学入門19 | Real Faceをしのばせて

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のんびり主婦のひとりごと

月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり。

と来ればご存知松尾芭蕉「奥の細道」(おくのほそ道)です。

松尾芭蕉は奥の細道の道程の早さから「忍者」説もある位。しかしながら「奥の細道」は実のところ芭蕉自身が求めた「みやび」な世界をフィクションを交えた文学作品。門人の曾良の随行日記とは異質なものとなっている。

学校で習ってすっかり忘れたのかもしれませんが・・・。

松尾芭蕉と言えば五・七・七の俳句の人ですよね?だから元々五・七・七だけの俳句があって、その作品が素晴らしいと思っていたのですが・・・。

元々は和歌の上の句(五・七・七)と下の句(七・七)を二人が応答してつくるところから始まり、それが多人数で連ねて作る形式に発展したのが連歌。そしてそれが現代の連句や俳句や川柳の元になっているわけですよね。(連句と連歌の違い?そんな難しいことを私に聞いてはいけません。一応聞いたけど、うまく説明でけへん・・・・・)

松尾芭蕉はその一番最初の発句(五・七・七)の名人と言われた人だそうです。発句には季節の言葉を必ず入れることが決まりになっていて、途中季節に関係のない句が川柳と呼ばれるものになったと言われているそうです。
(俳句と言うものは元々あとになってできた言葉です。俳諧として五七七が発句として、別人が七七を付け句として詠む。その発句だけが俳句とされたそうです。
発句の名人として松尾芭蕉を高く評価し、画家として有名だった与謝蕪村の俳諧を集めて世に送り出したのが正岡子規だそうです。)

奥の細道の序文のところにも
草の戸も住みかはる代ぞひなの家
表八句を庵の柱に掛置く。
とあります。

奥の細道の平泉のところでは杜甫の詩を引用している部分があります。「国破れて山河あり城春にして草青みたり」と。昔の人は作者も読む人もこのくらいの知識があるということを前提に作品を書いているのですね。ふむ、この代に生まれて良かったかも、私f^_^; ここで 夏草やつはものどもが夢のあと と芭蕉が詠みました。

なんだかだんだん古典のお勉強も浅くとは言え、ややこしくなってきましたわ。本当に何で学生の頃にもっと勉強しなかったんだ、私と思います。こうやって講座で聞いたことを全部ではありませんが、記憶をたどって書くものの・・・間違っている所もあると思いますので、くれぐれもご注意くださいませ。

それにしても昔はパソコンどころか携帯電話もなければそう電話やテレビもラジオもない。みんなが集まって、言葉遊びをして楽しんだんですねぇ。そのためにはいろんな知識がなければ、楽しむことができない。そう思うと何でも調べたいことをパソコンで検索したら出てくるそんな代にいる私はもうちょっと頭の中にインプットしなければ・・・と思うのだけれど、アウトプットばかり。

今聞いた確かに聞いたことなれど中味はどこかに行きにけり byみなみ