リーダーの取るべき行動
3月18日に行われたメルケル首相のスピーチが話題となっています。
わたしは、パブリックスピーキングの観点から分析します。
私はドイツ語が分からないため、訳されたものを基に話を進めます。
まず、全体を通してこのスピーチには国民の安心と全員の協力の必要性を念頭に構成されているのが分かります。
辛い時期だけど政府を信じるよう訴えています。
私は多用される「寄り添う」と言う表現を嫌います。
近寄って理解してあげているという雰囲気を出す流行語だからです。
特にリーダーは寄り添うという言葉に依存し迎合するのではなく、逆に国民と距離を置く手法を取るべきです。
国民に気付かせる役割を果たすためには、関係性、または心理的距離を置く必要があるのです。
人間がどれだけ脆弱であるか、人の好意に依存しているかなどを気付かせるためには自分がリーダーである自覚がないといけません。
これが安倍首相には見られず、メルケル首相に感じられるのです。
また、感染のピークをなだらかにする根拠が、治療薬の開発のための時間を稼ぐためであることを論理的に説明しています。
医療従事者がどれほど過酷な条件の下で苦労しているかを国民に伝えています。
一人一人が地域共同体を構成する重要なメンバーであることも伝えています。
彼女の話を聞いたらどう思うか。
「共感できる」という一言ではありません。
「これなら仕方がない」と思わせる必要があるのです。
そしてメルケルさんの話は国民にそう思わせました。
パトス
聞いた人の感情の変化に訴えることを古代ギリシャ語でパトスと言います。
聞いている人の感情に訴える、と言ったら日本ではすぐに「感動的」という短絡的な表現になるかもしれませんね。
今回のメルケルさんのスピーチは論理的説明を用いて、国民の感情を鎮めるという点で優れています。
彼女は責任をもって禁止だと言っているのです。
日本でのスピーチ
どうやったら効果的にこの国民を説得できるかどうかを考えると、単にメルケル首相がやったスピーチを真似るだけではいけません。
言うならば、文化がコミュニケーションに与える影響の大きさを十分理解する必要があります。
コミュニティの「コ」は共同を表しますが、この概念が日本には著しく欠けています。
なぜなら間人(かんじん)主義であり、知らない人よりも自分と関係者が優先だから。
同じ地域に住んでいても、同じ国に住んでいても、知らなければ極端に冷たくなるのが日本。
そして誰かがやっていたら承認されたと過剰に信じる文化。
悪いと分かっていても「他の人もやっているんだから」という短絡的な理由でやってしまう。
知らない人はどうなってもいい、と感じる人が非常に多い国なのです。
旅の恥は搔き捨てという諺がそれを象徴しています。
全然知らない人たちも住んでいる地域の中で他者の利益と権利がどれだけ意識にあるか否かです。
さいたまスーパーアリーナではK-1があり6500人くらい集まったそうです。
大阪のライブ会場もまた100人規模でイベントを開催しました。
安倍首相の説得が全く聞き入れられていませんが、彼のスピーチのまずさと、他者に対する思いやりが少ない文化的背景も相まって、この国では不思議なことが起こっています。
SNSでも海外の友人たちが最も驚いているのは「なぜ世界が封鎖されているのに日本人は悠長に密集して行動しているのか」という点です。
世界からは今日本が時限爆弾だと呼ばれているというのに。
文化に照らし合わせた上で、リーダーの責任ある説得スピーチが問われています。
そんなスピーチを学べるのがCSAの講座です。
メルマガでも言語コミュニケーションを学べます。↓ ↓
コミュニケーションスキル協会公式メルマガ登録はこちら
コミュニケーションスキル協会のホームページはこちら

