日本を変える言語コミュニケーション教育

 

豊富な語彙論理想いを確実に伝えることができる人を増やしたい。

 

プレゼンのレシピの著者 野中アンディです。

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コミュニケーション能力の要素

 

 

人間のコミュニケーションは実はシンプルです。

 

それは聞いて、判断して、反応するの繰り返しです。

 

それぞれが洗練することが高いコミュニケーション能力につながります。

 

日本では聞く能力が極端に注目されていますが、判断と反応ははるかに重要です。

 

今回はこの判断反応について説明します。

 

 

論理的な説明は後回し

 

 

現在、日本社会はCOVID-19のニュースで持ちきりで、半ば疲弊してきた感もあります。

 

でもこの話題はコミュニケーション能力に大きく関係する要素満載です。

 

昨今のクルーズ船から下船する人たちがなぜ隔離されないのかを合理的に説明できない

日本政府の対応などを見ていても、この国の政府には判断力が完全に欠如していることが

分かります。

 

そこに見え隠れするのは論理的な説明ではなく感情だけに頼る思考です。

 

つまり「かわいそう」という思いが優先され、いろんな犠牲と危険性を私たちに押し付けています。

 

「乗船客が長い間監禁されていたのだから自由にさせてあげたい」。

 

でも感情だけでは合理性に確実に負けます。

 

 

客観的判断には合理性と論理性が求められます。

 

桜を見る会にしてもそう。

 

黒塗り、白塗りの資料がまかり通るのも。

 

しかし、この国には合理的説明による判断が黙殺されています。

 

 

 

判断は言葉に表れる

 

 

自信が持てる判断が形となって表れるのが反応です。

 

それが最も正確に観察できるのは、その人から出てくる言葉なのです。

 

顔の表情だとか態度などの非言語コミュニケーションにはある程度の情報しか乗っかっていません。

 

例えば、ある意見に対して肯定的か否定的かなどです。

 

その人物が何を考えているかは言葉でしか表すことはできません。

 

 

一連のスキャンダルに対して、のらりくらりと交わすようなセリフしか言えない政治家の話を聞いて、彼らの判断に納得する国民がどれだけいるのでしょうか

 

ただ、桜を見る会、小泉進次郎氏の新年会とCOVID-19の議論のどれを優先させるかを問われる野党の判断も国民は政治家の言葉に見ています。

 

つまり優先順位の判断です。

 

発言にその判断が全て映し出されています。

 

言葉は判断を反映させる鏡だからなのです。

 

 

思考・判断・表現

 

 

奇しくもこの春改訂される学習指導要領には思考、判断、表現が柱として挙げられています。

 

それらを関連付けて学ぶことができ、かつ客観的に測れる唯一の手段がプレゼンテーションです。

 

私が言うプレゼンテーションとはパワポと原稿を読み上げるものではありません。

 

自分で問題点を見つけ、それを批評的に考え論理的な流れを作り出し、豊かな言語表現を習得し、洗練された非言語で相手に伝える話です。

 

日本人が苦手で、かつ西洋人がたやすくやってのけるプレゼンテーションスタイルです。

 

なぜなら日本人のプレゼンテーションの捉え方が完全に間違っているからです。

 

西洋人だって初めからできるわけではありません。

 

だからこそ教育の中に取り入れて訓練しているのです。

 

そしてそのプレゼンテーション教育とは、パワポを作り込んで原稿を読むものではありません。

 

原稿を持たずに登壇するだけではありません。

 

話の展開こそがプレゼンテーションの真価です。

 

 

プレゼンテーションの話題を見つけ出すところから批評的思考は始まります。

 

書いている間ずっと批評的思考で「正しさ」を求め言葉を作り出します。

 

その正しさとは言葉の選択、倫理的見地、論理的展開です。

 

人間関係と感情だけでコミュニケーションが成立すると考える人には絶対に分からない、思考と言葉の連動性というコミュニケーション能力の姿です。

 

聞いて、判断して、反応するの三拍子そろった能力です。

 

どれか一つが欠けてもダメであり、それぞれが関連していることも重ねて強調しておきます。

 

 

 

 

コミュニケーションスキル協会 言葉の診断

 

 

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