燃料電池と紛らわしいですが、こちらは重水素等を使って、
核エネルギーを取り出す、究極の兵器の一つです。
こうした事実もよく考えておかないといけません。
だから通常水素の高効率利用である燃料電池とは、
きっちり区分して、未来のエネルギーを創っていくことが
大事です。
以下、ご参考まで。(原子力コミュニティからの情報です。)
http://www.nytimes.com/learning/general/onthisday/big/1101.html#article
EXPERIMENTS FOR HYDROGEN BOMB HELD SUCCESSFULLY AT
"satisfactory" experiments in hydrogen weapon research amid informed
speculation that this meant a super-atomic bomb had been exploded in recent
http://nuclearweaponarchive.org/Usa/Tests/Ivy.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B4%E7%B4%A0%E7%88%86%E5%BC%BE
第二次世界大戦末期のマンハッタン計画後、アメリカでエドワード・テラー、スタニスラフ・ウラムらによって開発が進められ、1952年11月1日、エニウェトク環礁で人類初の水爆実験、アイビー作戦が実施された。この作戦でアメリカはマイクというコードネームで呼ばれる水爆の爆発実験に成功した。マイクの核出力は10.4メガトンであったが、本来は気体である重水素や三重水素を零下二百数十度に冷却液化しなければならないため、そうした大規模な装置類の付属により、マイクの重量は65トンに及び、実用兵器には程遠いものであった(気体のままでは密度が低く、核融合反応が起きない)。
ところが、翌1953年、ソビエト連邦が重水素などの熱核材料をリチウムと化合させて重水素化リチウム(固体)として用いた水爆の実験に成功した(実際には水爆ではなかったと言われている)。この型では大掛かりな付属装置が不要なため水爆を小型軽量化できた。その後アメリカも熱核材料をリチウムで固体化した水爆を完成。
1954年、キャッスル作戦が実施された。作戦の一つ、ブラボー実験の成功により大幅な小型化に成功した。
更に米ソ両国で核実験が続けられ1955年から1956年には爆撃機にも搭載可能になり、核兵器における威力対重量比が格段に増大する結果となった。メガトン級核兵器の登場である(百万トン分のTNT爆薬に相当する。広島は15キロトン、長崎は20キロトン)。
トルーマン大統領は1945年夏原爆が完成したとき、ソ連が原爆を作るのはどんなに早くても10年以上後、と予測していましたが、実際には1949年に原爆実験に成功。その結果、米国はさらに強力な兵器の開発に迫られ、水爆の開発、製造に踏み切ったものですが、あまりの破壊力の大きさに驚いたアイゼンハワー大統領(1953年1月からトルーマンの後継大統領に就任)は、核の国際管理の必要性を痛感し、53年12月8日国連総会で「Atoms for Peace」構想を発表します。日本ではこの構想は原子力平和利用のため、と理解している人が多いようですが、アイゼンハワーの最大の狙いは核兵器の国際管理にあったことは明らか。
ちなみに、日本のマグロ漁船「第5福竜丸」がエニウェトクの東隣のビキニ環礁近海で被爆したのは1954年3月1日。無線長だった久保山愛吉さんがその半年後の9月23日に血清肝炎で死亡。日本国内で原水爆反対運動が未曾有の高まりをみせる中、国はアイゼンハワー構想を受けて、原子力平和利用に着手する腹を決め、1955年12月19日原子力基本法を制定。疾風怒涛の中の船出だった。